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松平頼策 : ミニ英和和英辞書
松平頼策[まつだいら よりふみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [さく]
  1. (n,n-suf) plan 2. policy 

松平頼策 : ウィキペディア日本語版
松平頼策[まつだいら よりふみ]
松平 頼策(まつだいら よりふみ、嘉永元年9月3日1848年9月29日) - 明治20年(1887年9月10日)は、常陸府中藩の第10代(最後)の藩主。第9代藩主・松平頼縄の三男。正室は松平頼胤の娘、継室は松平頼升の娘。子に頼孝(長男)、頼忠(次男)。官位は従四位下、播磨守。幼名は勇次郎。
== 生涯 ==
明治元年(1868年)12月3日、父の隠居により跡を継ぐ。明治2年(1869年)の版籍奉還知藩事となり、このときに藩名を石岡藩と改称した。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となる。明治17年(1884年)には子爵となった。明治20年(1887年)9月10日、40歳で死去した。墓所は茨城県常陸太田市瑞龍山





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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