翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平頼聰
・ 松平頼職
・ 松平頼胤
・ 松平頼致
・ 松平頼芳
・ 松平頼英
・ 松平頼裕
・ 松平頼覚
・ 松平頼該
・ 松平頼誠
松平頼説
・ 松平頼謙
・ 松平頼豊
・ 松平頼貞
・ 松平頼起
・ 松平頼路
・ 松平頼道
・ 松平頼邑
・ 松平頼重
・ 松平頼隆


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平頼説 : ミニ英和和英辞書
松平頼説[まつだいら よりひさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [せつ]
  1. (n,n-suf) theory 

松平頼説 : ウィキペディア日本語版
松平頼説[まつだいら よりひさ]
松平 頼説(まつだいら よりひさ、安永7年2月27日1778年3月25日) - 天保4年9月13日1833年10月25日))は、常陸府中藩の第8代藩主。
松平頼陽(第6代藩主・松平頼済の次男)の長男。母は鈴木氏。正室は熊本藩主・細川治年の娘・寧子。側室に鈴木氏、曾我氏、石川氏、大庭氏など。子に頼縄(長男)、中山信守(次男)、頼功(三男)、有馬広衆(四男)、谷衛滋(五男)、知久頼匡(六男)、信(水戸支流松平頼誠正室)、娘(松平頼善室のち畠山義宣継々々室)、娘(本堂親道正室のち鈴木重矩室)などがいる。官位は従四位下、兵部大輔、侍従播磨守。幼名は兼太郎、弁次郎。
寛政5年(1793年)11月、先代藩主の松平頼前の養嗣子となる。寛政7年(1795年)9月10日、頼前の隠居で跡を継いだ。藩校の創設や新田開発に尽力し、自身も教養に優れていたことから文学を奨励している。また、蹴鞠を趣味としており、飛鳥井雅威の門下として紫組の冠懸を許された。天保4年(1833年)9月13日、56歳で死去し、跡を長男の頼縄が継いだ。
==経歴==
※日付=旧暦
*1793年寛政5年)11月、藩主松平頼前の養子となる。
*1794年(寛政6年)12月、従四位下兵部大輔に叙任。
*1795年(寛政7年)9月10日、家督相続し、常陸府中藩茨城県石岡市)の藩主を継承する。 月日不詳、播磨守に叙任。
*1796年(寛政8年)12月17日、侍従兼任。
*1833年天保4年)9月13日、卒去。法名は巌徳院敬誉俊亮順説。諡号は靖侯。墓所は茨城県常陸太田市瑞龍山




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平頼説」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.