|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
松平 頼貞(まつだいら よりさだ)は、常陸額田藩の第2代藩主、のち陸奥守山藩の初代藩主。守山松平家第2代当主。 寛文4年(1664年)1月25日、額田藩の初代藩主・松平頼元の長男として生まれる。水戸徳川家初代の徳川頼房の孫である。元禄6年(1693年)、父の死去により家督を継ぐ。 元禄13年(1700年)9月25日、額田から陸奥守山に移封された。元文4年(1739年)、尾張藩主・徳川宗春に対して蟄居を伝える使者を務めた。寛保3年(1743年)10月28日、家督を三男の頼寛に譲って隠居する。翌延享元年(1744年)8月3日に死去した。享年81。 頼貞は多くの男子をもうけており、元文から寛保の間に六男の頼恭が高松松平家を、七男の頼済が府中松平家を継いでいる。以後、文化年間(19世紀初め)以降に本家の水戸藩主徳川治紀・斉昭の息子たちが養子入りするまで、水戸家の連枝4家のうち宍戸松平家を除く3家を頼貞の血筋が占めた。他にも五男の定賢が親藩久松松平家を継いでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平頼貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|