翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平頼貞
・ 松平頼起
・ 松平頼路
・ 松平頼道
・ 松平頼邑
・ 松平頼重
・ 松平頼隆
・ 松平頼雄
・ 松平頼雄 (宍戸藩主)
・ 松平頼雄 (西条藩嫡子)
松平頼順
・ 松平館
・ 松平高校
・ 松平高等学校
・ 松平龍樹
・ 松広寺
・ 松広寺 (順天市)
・ 松広金一
・ 松庵
・ 松庵川


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平頼順 : ミニ英和和英辞書
松平頼順[まつだいら よりゆき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [じゅん]
  1. (adj-na,n,n-suf) order 2. turn 

松平頼順 : ウィキペディア日本語版
松平頼順[まつだいら よりゆき]
松平 頼順(まつだいら よりゆき、享保12年7月1日1727年8月17日) - 安永3年7月6日1774年8月12日))は、水戸藩第4代藩主徳川宗堯の庶長子。母は側室の岡島氏。幼名を軽麻呂、主税。はじめ翰鄰(もとちか、「翰」は実弟で水戸藩の藩主(5代目)となった徳川宗翰偏諱と思われる)と称した。官位は従四位下、侍従に任ぜられ、大蔵大輔、のちに上総介、飛騨守となる。娘には(松平頼亮室)、元(松平頼図室)がいる。
==生涯==
宗堯の長男として生まれるも、庶子のため家督は継がず、藩内で2万石を得て分家した。長男・鐵吉が宝暦13年(1763年)に2歳で死去するなど実子に恵まれず、甥の頼図(よりのり、宗翰の子)を婿養子(娘・元の夫)として迎えた。頼順は安永3年(1774年)7月6日に没し(享年48)、頼図が跡を継ぐこととなるが、頼図も安永5年(1776年)に22歳(満21歳)で早世したため、結局松平頼順家は2代で断絶した。
松下烏石に教えられた書法を、水戸藩の立原翠軒に伝える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平頼順」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.