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松広寺(しょうこうじ、ソングァンサ)は、大韓民国全羅南道順天市松光面にある仏教寺院。韓国仏教の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の発祥地。曹渓宗の開祖である知訥(1158年 - 1210年)はその晩年の10年間を松広寺で過ごした。高麗時代に16人の国師を輩出したことから、僧宝寺刹と呼ばれる。また曹渓宗の三宝寺院、五大叢林(曹渓叢林)に数えられている。曹渓宗の第21教区本寺。 == 歴史 == 曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)は、新羅時代末期に慧麟が吉祥寺を創建したときをもって、松広寺の創建としている。吉祥寺は華厳宗の寺院だった。1200年、曹渓宗の創始者である知訥が浄慧結社(「結社」というのは高麗中期に活発だった仏教浄化組職)の拠点を吉祥寺に移し、吉祥寺を修禅寺に改名した。寺名は1208年(熙宗4年)にさらに改名され、現在の松広寺になった。 李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に松広寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36寺院の中にも名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。 1842年(憲宗8年)の大火事、1948年の麗水・順天事件、1951年の共匪蛮行等でほとんどの建造物が繰り返し消失し、現在までに8回再建された。ソウルオリンピックをひかえた1984年から1988年にかけて、大規模再建事業によって33の建造物が建てられ、現在の形になった。 日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松広寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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