|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple
松応寺(しょうおうじ)は、愛知県岡崎市松本町にある浄土宗の寺院。山号は能見山。本尊は阿弥陀如来。しばしば旧漢字で「松應寺」と表記する〔岡崎市の「指定文化財目録」や『新編 岡崎市史』などでは「松応寺」と表記されているため、本稿もそれに拠った。〕。 == 概要 == 1560年(永禄3年)、徳川家康が父松平広忠菩提のため、隣誉月光を開山として本寺を創建した。手植えの松が緑深く、東方に伸長するのを見て家康は「我が祈念に應ずる松なり」と言ったという。ここから「松應寺」と名付けられた。 広忠は一説に天文18年3月6日(1549年4月3日)、家臣岩松八弥に殺害されたと言われており、能見原で荼毘にふされた。 慶長7年(1602年)6月14日付で能見・菅生村に朱印地100石が寄進された。慶長17年(1612年)1月26日、大坂へ進軍途中の徳川家康が本寺に参拝している。 1633年(寛永10年)、徳川家光が大造営を行い、翌1634年(寛永11年)、常紫衣綸旨を受けた。1805年(文化2年)、太子堂が建立される。 1945年(昭和20年)7月20日、岡崎空襲により、御廟所と太子堂を除き焼失。1952年(昭和27年)、現在の本堂が落成した。 付近では老朽化した空き家の増加が進んでおり、この問題を解消するべく、2011年(平成23年)7月から路地や空き家を活用した「松應寺横丁にぎわい市」が年数回開かれている〔松應寺横丁まちづくり協議会 | おかざき市民活動情報ひろば 〕。 「あいちトリエンナーレ2013」においては本寺が会場の一つに選ばれた。最終日の2013年(平成25年)10月27日には「クロージングイベント また逢う日まで」が開催された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松応寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|