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松戸サンリオ劇場(まつどサンリオげきじょう)は、かつて存在した日本の映画館である〔名簿, p.46.〕〔名簿, p.45.〕〔名簿, p.44.〕。1980年(昭和55年)10月、千葉県松戸市に開館〔、1993年(平成5年)に移転して松戸サンリオシアター(まつどサンリオシアター)と改称、3スクリーン(のちに4スクリーン)のシネマコンプレックスとなる〔名簿, p.26.〕。2006年(平成18年)3月31日閉館、翌日から松戸シネマサンシャイン(のちのシネマサンシャイン松戸)となった〔松戸サンリオシアター 、インターネット・アーカイブ、2006年4月8日付、2013年9月3日閲覧。〕。 == 概要 == 1980年(昭和55年)10月、国鉄(現在のJR東日本)常磐線および新京成電鉄新京成線の松戸駅西口近くの千葉県松戸市根本14番地2号に、三井不動産が開発したショッピングセンター「三井アーバンヒル松戸」が竣工し、同ビル内の1階に松戸サンリオ劇場として開館した〔〔。同ビルは黒川紀章建築都市設計事務所の設計、間組の施工によるもので、廃業した松戸ボウルの跡地に建てられた〔。同館はサンリオの直営館であり、初代支配人を柳沢定が務めた〔。 当時同市内の映画館には、戦前からあった同市内最古の映画館である松戸常盤館〔年鑑, p.467.〕(本町16番地4号)、戦後に建てられた輝竜会館〔沿革 、松戸公産、2013年9月3日閲覧。〕(のちの輝竜会館シネマ1、松戸1823番地)、パンビ劇場(のちの輝竜会館シネマ2、同)、および成人映画館の松戸京葉劇場・松戸弁天劇場(根本461番地)の5館が存在した〔。松戸市出身のアートディレクター・増田セバスチャン(1970年 - )は、小学6年だった頃の1982年(昭和57年)12月4日に日本公開した『E.T.』(監督スティーヴン・スピルバーグ)を8回も観たという。 1988年(昭和63年)、同ビル内の1階、従来サンリオ直営のレストラン「ナットクラッカー」だった場所を改装して松戸サンリオ劇場2を開館、従来館を松戸サンリオ劇場1とする〔〔。 1993年(平成5年)、近隣の本町21番地2号に竣工した「都市綜合開発第三ビル」に移転して松戸サンリオシアターと改称、3スクリーンをもつシネマコンプレックスになる〔。のちに4スクリーンになるが、2006年(平成18年)3月31日にサンリオの直営館としては閉館、同館の4スクリーンは、同ビルの3階に入居していた松戸シネマサンシャイン(3スクリーン、経営・佐々木興業)が継承、合計7スクリーンとした〔。 松戸サンリオ劇場がかつて入居した「三井アーバンヒル松戸」は取り壊され、2001年(平成13年)11月、跡地に地上22階建の高層マンション「パークスカイタワー松戸」が建った〔パークスカイタワー松戸 、SUUMO物件ライブラリー、リクルート、2013年9月3日閲覧。〕。同館を継承したシネマサンシャイン松戸は、2013年(平成25年)1月31日をもって、全館閉館して撤退〔〔、同市内の映画館はすべてが消滅した。その後、同年8月23日、週3回の上映スペース「MAD Cinema」(本町20番地10号 ルシーナビル7階)が開館したことが報じられた〔松戸駅前に、DIYで作られたミニシアタースペースが誕生 、まちづクリエイティブ、2013年8月12日付、2013年9月3日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松戸サンリオ劇場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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