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松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。 太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌「みづゑ」437号に「生きてゐる画家」という文章を発表した〔針生一郎・木野依・蔵野美香・河田明久・平瀬礼太・大谷省吾編著「戦争と美術:1937-1945」国書刊行会、2007年、ISBN 978-4-336-04954-4, p.280.〕ことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。 ==概要== 1912年(明治45年)渋谷に生まれ、その後岩手県で育ったが17歳になる年に再び上京し、その後は東京で絵を描き続けた。 一方、文筆活動の活発だった画家でもある。中学にあがった時に聴力を失った。1944年(昭和19年)制作の作品以降、名前の文字を、本名の「俊介」から「竣介」に改めた。以下の文中では煩雑を避けるためすべて「竣介」と記述する。 松本竣介はかつて、「みづゑ」昭和16年4月号において発表した文章「生きてゐる画家」 〔宇佐美承著「池袋モンパルナス:大正デモクラシーの画家たち」集英社文庫, 1995年, ISBN 978-4-08-748273-7, pp.551-555.〕と、戦後、画壇の民主化を提言した「全日本美術家に諮る」によって反戦抵抗の画家とみなされた時期があった〔宇佐美承著「求道の画家 松本竣介 ひたむきの三十六年」, 中公新書, 1992年, ISBN 978-4121011084, p.3.〕〔宇佐美承著「池袋モンパルナス」p.551.〕が、戦中の国是だった高度国防国家建設に反対でなかったことや戦意高揚のポスターを描いたことがわかっており 〔宇佐美承著「池袋モンパルナス」p.555.〕、 現在はそのような視点に立つ人は少なくなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本竣介」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shunsuke Matsumoto 」があります。 スポンサード リンク
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