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松本 哉朗(まつもと としお、男性、1974年10月16日 - )は、日本のキックボクサー。東京都出身。新日本キックボクシング協会 目黒藤本ジム所属。 普段は非常に温厚で礼儀正しくファンを大切にする選手である。 == 来歴 == 1999年4月18日、新日本キックボクシング協会でプロデビュー。 2001年5月6日、新日本キックボクシング協会「Golden Breeze」の日本ミドル級王座決定戦で、同級1位にランクされていた松本は、本多孝一(同級2位)を2R1:00TKOで下し、新王者になった。 2002年10月20日、新日本キックボクシング協会「ROAD TO MUAY-THAI 2002」でガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。5Rを終了し、3-0(50-48、50-45、50-47)の判定勝ちとなるも、双方納得のいかない判定結果であり、興行中に裁定がノーコンテストに変更となった。 2003年11月18日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜でドゥエイン・ラドウィックと対戦し、2Rタオル投入によるTKO負け。18戦目にして初黒星となった。 2005年5月12日、タイでラムソンクラーム・スワンアハーンジャーヴィー(タイ/王者)の持つラジャダムナン・スタジアム認定ミドル級王座に挑戦。5R判定負けし王座奪取に失敗した。 2007年3月29日に東京で開かれた「WBCムエタイ日本ランキング委員会」の初会合で、委員会に日本ミドル級1位にランクされる。同年7月6日、制定ランキングでも引き続き同級1位に認定された。 2007年10月26日、中華人民共和国マカオ特別行政区で開催された第2回アジアインドアゲームズのムエタイ競技、ライトヘビー級(75kg - 81kg)に出場。10月29日の1回戦でソルタニ・ヨーセフ(イラン)を判定5-0で破ると、31日の続く準決勝でアリ・アリ(ヨルダン)も判定5-0で破り、11月3日の決勝戦で李寶明(リー・バオミン/中国)も判定5-0で下し優勝した。決勝戦では、試合序盤に相手のパンチを受け、左目の下をカットしてしまうアクシデントもあった。 2009年5月31日、日本ヘビー級王座決定トーナメント決勝で柴田春樹と対戦し、右フックでKO勝ちし2階級制覇を果たした。 2012年1月22日、REBELS.10で、欧州最大のキックボクシング団体IT'S SHOWTIMEの日本王座として制定されたSTJ95kg級の初代王座決定戦が行われ、コウイチ・ペタスと対戦し、4-0(49-47、48-48、49-47、49-46、49-46)の判定勝ちで初代王者に就いた。 2012年1月22日、鶴巻伸洋(ティアゲネス)と対戦し、飛び膝蹴りでKO勝ちした。 2012年10月28日、REBELS.13で、木村秀和(TEAM PITBULL)と対戦し、2-0(29-29、29-28、30-29)の判定勝ち。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本哉朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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