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松本 善登(まつもと よしと、1933年6月15日-1981年12月14日)は、日本中央競馬会の騎手。島根県安濃郡大田町(現・大田市)出身。三冠馬シンザンの現役最後のレースとなった第10回有馬記念を制し、第46回東京優駿(日本ダービー)ではカツラノハイセイコで勝利している。ファンや関係者からは「善さん」と呼ばれ、親しまれていた。 子の松本一孝は現在、調教助手をしている。 == 経歴 == 松本は、少年時代には体が弱く、「牛乳を飲んで大きくなれれば」という思いで、近くにあった新堀牧場(のちのシンボリ牧場の場主である和田共弘の実家)に牧夫として入ったが、同牧場は馬の牧場であり、思惑通りには行かなかったという。やがて、牧場で働くうちに馬の乗り方を覚え、また体が小さかったこともあって騎手になることを勧められた松本は、牧場とも付き合いのあった尾形藤吉への弟子入りを希望したが、希望者多数で入門待ちになると聞き、牧場にたびたび顔を見せていた武田文吾調教師に入門先を変更して弟子入りを願い、武田に許されて1951年に騎手見習として京都競馬場に向かった。 1955年に騎手免許を取得し、武田文吾厩舎所属騎手としてデビュー。1958年秋にはシュンエイで読売カップに勝利して重賞初勝利を挙げ、その後もスズカリュウやオンワードセカンドなどで重賞を勝ち、栗田勝とともに武田厩舎の主戦騎手となった。 1965年、シンザンで第10回有馬記念に勝利。八大競走の初勝利となる。シンザンの主戦騎手である栗田勝が騎乗できなくなったために急遽乗り替わっての記録である。この時加賀武見の乗るミハルカスが奇策に出たが、本人はシンザンの強さを信じて乗ったので、動じることはなかったという(シンザンの項参照)。 1972年には、ショウフウミドリで宝塚記念に勝利したが、40歳を迎えた翌年あたりから、次第に騎乗数が減少してきたものの、いぶし銀と呼ばれる騎乗技術を持ち、コウイチサブロウで京阪杯など重賞3勝を重ねた。 1979年、コウイチサブロウと同じ馬主であるカツラノハイセイコで日本ダービーに勝利した。当時45歳で現役最年長騎手であり、のちに増沢末夫(1986年にダイナガリバーで優勝)に破られるまで、日本ダービーを勝った最高齢の騎手でもあった。 ただ、このころから体調を崩し、通院しながら騎乗を続けていたが、カツラノハイセイコの主戦騎手の座は、京都新聞杯のレース後に河内洋に譲った。その後肺癌と診断され、1981年2月21日の騎乗を最後に〔日本中央競馬会『優駿』1982年2月号、pp.84-85〕治療に専念したが、12月14日に癌性腹膜炎のため、現役のまま48歳で死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本善登」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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