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松本 悠里(まつもと ゆり、生年非公開9月19日 - )は宝塚歌劇団・専科に所属する娘役および同劇団理事。日本舞踊松本流の名取であり、宝塚歌劇団におけるこの分野の第一人者である。2000年菊田一夫演劇賞特別賞、2012年旭日小綬章受章。劇団における愛称は「ミエコ」。 ==来歴== 神奈川県鎌倉市に生まれ、3歳より兵庫県神戸市で育つ。5歳より日本舞踊の松本流を習い、中学生のとき名取となる〔。春日野八千代の姿に憧れて1957年に宝塚歌劇団への入団を志し、神戸松蔭女学院高校卒業後、宝塚音楽学校に入学〔。44期生。同期に千波静(ダンスを得意としていた人気男役。元プロテニス選手・松岡修造の母)、今西正子(宝塚音楽学校副校長)らがいる。宝塚入団時の成績は52人中23位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、56-57頁。ISBN 9784484146010〕。初舞台公演の演目は雪組公演『春の踊り〔』。1959年3月18日〔に雪組配属。 以後、芝居やショーに出演したが、1974年に専科へ異動し、以後は日舞の披露を専らとしていた〔。しかし当時の劇団理事長植田紳爾の「踊りが技術ばかりになっていないか。芝居をやらせて、ハートが大切なことを気付かせたい」という配慮により、1979年に鳳蘭の退団公演として上演された芝居物の『白夜、わが愛』に出演〔。以後再び芝居物にも出演し、1982年の『夜明けの序曲』で演じたモルガンお雪は自身の当たり役となり、1999年の再演時にも同じ役を演じた〔。 舞踊は宝塚歌劇の日本物ショーにおける象徴的な存在となっており、日本国外での公演参加は松本が最多の経験を持つ。また、憧れの存在であった春日野とは、初めて相手役で踊った『花小袖』(1980年花組)以来、記念式典や舞踊会で共に舞踊を披露する機会が多かった。2004年の宝塚歌劇団90周年記念式典では春日野および轟悠と祝舞「飛翔無限」を〔、春日野没後の2013年に行われた宝塚音楽学校100周年式典では星組の娘役たちと祝舞「百年(ももとせ)の道」をそれぞれ披露している。松本流を基礎としたが、宝塚入団後に藤間流、花柳流、山村流などの指導も受けていることから、自身の舞踊を「宝塚流」と自称している〔。 劇団理事は1989年より務める〔。1998年、宝塚歌劇団から初めて文化庁長官表彰を受け〔、2000年には兵庫県文化賞〔、2001年には「永年の宝塚・日本舞踊への貢献」を理由として、春日野と共に菊田一夫演劇賞特別賞を受賞。2012年の秋の叙勲では旭日小綬章を受章した。 2014年1月に宝塚歌劇の殿堂が発表され、現役生徒で唯一殿堂入りの100人の一人に選ばれた。〔宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表 (日刊スポーツ、2014年1月11日)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本悠里」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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