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松本 竜也(まつもと りゅうや、1993年4月29日 - )は、香川県木田郡三木町出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴 == === プロ入り前 === 父親は三菱重工三原に在籍していた元社会人野球選手。その父の指導で、2歳の時に利き腕を左利きに矯正。小学校3年生より「平井軟式スポーツ少年団」で野球を始める。三木町立三木中学校では2年生時の香川県大会において、7回15奪三振で完全試合を達成したほか、四国中学校秋季大会にも出場し準優勝〔週刊ベースボール2011年11月4日号 ベースボール・マガジン社発行〕。 高校は父親の勧めで、父親の寒川高校時代の監督である香川智彦が指導していた英明高校に進学。1年夏からベンチ入りし、全国高等学校野球選手権香川大会初戦の尽誠学園高校戦において救援で高校野球公式戦初登板〔四国新聞2009年7月16日〕。2年夏の香川県大会では投球練習で145キロをマーク〔。上級生のエースとともに2枚看板と期待され〔四国新聞2010年7月9日〕、初戦(2回戦)の高松西高校戦では救援、3回戦の藤井高校戦では先発で登板したが、いずれも制球難のため1アウトも取れずに降板〔四国新聞2010年7月18日、23日〕。チームは大会で初優勝し第92回全国高等学校野球選手権大会に出場。松本もベンチ登録されたが登板機会はなかった。新チームからエースとなったが、秋の香川県大会では準々決勝の寒川高校戦で敗退〔四国新聞2010年10月3日〕した。 3年春の香川県大会では初戦で坂出高校に敗れたが、冬場の下半身強化で制球が安定し延長10回を1四球2失点〔四国新聞2011年3月27日〕。夏の香川県大会では全6試合に先発登板し、47イニングで被安打28、61奪三振、15与四死球、自責点6。大会序盤の2試合4イニングで救援を仰いだ以外は一人で投げ切り、チームの2年連続香川県大会優勝と第93回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献した。選手権では2回戦敗退であったが、18回を投げ3失点(自責点1)、20奪三振をマークした〔。また、「英明のランディ・ジョンソン」との異名をとるようになった。 大会終了後に第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表のメンバーに選出され、1戦目の香港戦と準決勝のフィリピン戦に登板した。 10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で藤岡貴裕を抽選で外した横浜ベイスターズと菅野智之を抽選で外した読売ジャイアンツが1位再指名で競合し、抽選の結果巨人が交渉権を獲得した〔2011年 新人選手選択会議(読売ジャイアンツ) 〕。11月13日に契約金7000万円、年俸720万円(金額はいずれも推定)で仮契約を行い〔『読売新聞』2011年11月14日付夕刊(4版、4面)〕、11月23日に入団発表が行われ背番号が41番に決まった〔『読売新聞』2011年11月24日付朝刊(14版、25面)〕。尚、松本は日本プロ野球界で日本人歴代最高身長サウスポーとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本竜也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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