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松本 重太郎(まつもと じゅうたろう、天保15年10月5日(1844年11月14日) - 大正2年(1913年)6月20日)は日本の実業家。関西経済界の重鎮。旧姓は松岡、幼名は亀蔵。肥料、銀行、紡績、鉄道など多くの企業の設立、経営に参画し、西の松本、東の渋沢と呼ばれた。数寄者としても有名で号を叟軒と称す。 ==生い立ち== 丹後国竹野郡間人村(現・京都府京丹後市丹後町間人)の農家・松岡亀右衛門の次男として生まれた。松岡家は、江戸時代には代々庄屋を務め、苗字帯刀を許された家柄であった。10歳のとき、京都五条通の呉服商「菱屋勘七」に丁稚奉公にあがる。3年後、大坂に出て天満の呉服商「綿屋利八」方に移り、ここで10数年間勤めた。綿屋は大坂の有力呉服問屋の1つで、ここで商人として活躍していく素地を造り上げる事ができた。明治元年(1868年)、24歳ごろ独立し、松本重太郎と名を改める。ちょうど兵庫と大阪の開港が行われた年である。さっそく重太郎は、洋反物のブローカーを始める。大坂にはすでに山口吉郎兵衛、伊藤九兵衛、平野平兵衛など、洋反物を取り扱って急速にのしあがった商人がいた。最初は行商だったが、1870年ごろには東区平野町に「丹重」を屋号とする店舗を構えた。重太郎が大躍進したのは西南戦争のときで、このとき軍用羅紗の買占めを行い、巨利を得た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本重太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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