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松本 駝堂(まつもと だどう、延宝元年(1673年) - 寛延4年1月15日(1751年2月10日)〔松本駝堂|デジタル版 日本人名大辞典+Plus (2014年8月8日閲覧。)〕は、江戸時代中期の外科医、本草学者〔。駝堂は字〔。本姓は佐々木〔。名は元活〔。号は松本六郎次郎賓秋〔。松本駄堂〔ともされる。 第8代徳川吉宗の治める享保年間、当時の医薬不足〔櫻井祐吉(著)『安南貿易家角屋七郎兵衛 : 附・松本一族』P52 〕の解消、薬効研究のため、江戸幕府の命のもとで医薬となる植物を求めて諸国を巡り、薬草を調査・採取した。熊野では天然の和人参を採取した〔〔大西源一『三重県郷土史』1939年5月5日、P322 〕。 次男は禅僧・画家・篆刻家の悟心元明〔〔大西源一『三重県郷土史』1939年5月5日、P324 〕。 == 略歴 == ==== 生まれ ==== 駝堂は、伊勢国松坂の「角屋」一族の別家の生まれである〔。角屋家は、本能寺の変で徳川家康の堺からの脱出を手助けした角屋七郎次郎秀持(本姓・松本氏)をルーツに持つ、徳川氏の御用商人であった〔角屋七郎次郎|朝日日本歴史人物事典 〕。代々、角屋家の本家当主は角屋七郎次郎を名乗る。(代数は秀持を初代とする場合と2代目とする場合がある〔角屋七郎次郎(2代)デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕〔伊勢国比佐古文庫旧蔵文書|国文学研究資料館 〕。) 角屋家に別家が出来た理由は、先述の秀持の孫の忠祐が子宝に恵まれなかったからである〔。そこで忠祐は2人養子を迎えた〔。ひとりには本家(七郎次郎家)を継がせた(角屋七郎次郎有久)。そしてもうひとりのために伊勢松坂の中町に別家(六郎次郎家)が創設された(松本六郎次郎久林、法名久也・または休也)〔。この久林が駝堂の父である。久林は木綿や茶や薬を商い、江戸にも店舗を構えた〔。駝堂はよく学び、家業の薬学や医学の習得にはことさら励んだ〔。駝堂は次男だったが、兄の久武が出家したため、駝堂が父親の家業を継ぐことになった。このとき号を松本六郎次郎賓秋とした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本駝堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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