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片山 広子(片山 廣子、かたやま ひろこ、1878年(明治11年)2月10日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の歌人、随筆家、アイルランド文学翻訳家(松村みね子名義)。 外交官・吉田次郎の長女として東京麻布で生まれる。妹は次子、弟は精一と東作。東洋英和女学校卒。佐佐木信綱に師事して歌人として活動〔ここで15歳下で同窓の村岡花子と出会う。村岡は柳原白蓮が伊藤伝右衛門と政略結婚をしたのを許せず、高等科に進んだが、毎週のように大森にある片山の家に訪ねて本を借り、「片山廣子さんが私を近代文学の世界へ導いて下さった」と書いている(村岡恵理編『花子とアンへの道』新潮社 2014年pp.36-41)。〕。 また、松村みね子の筆名で、ジョン・ミリントン・シング、レディー・グレゴリー、W・B・イェーツ等のアイルランド文学を中心に翻訳も行う。 芥川龍之介晩年の作品『或阿呆の一生』の37章で「才力の上にも格闘できる女性」と書かれ、『相聞』で「君」と歌われたのは片山広子の事だと言われている。堀辰雄の『聖家族』の「細木夫人」、『菜穂子』の「三村夫人」のモデルとも言われている〔桐山秀樹・吉村祐美『軽井沢という聖地』(エヌティティ出版、2012年)〕〔川村湊『物語の娘―宗瑛を探して』(講談社、2005年)〕。晩年の随筆集『燈火節』で、1954年度日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。 ==家族== ;夫・片山貞治郎 大蔵省勤務後、日本銀行理事 :- 1920年(大正9年)3月14日没。 :1899年(明治32年)に広子と結婚。50歳で死去。 ;息子・片山達吉(筆名:吉村鉄太郎) 文芸評論家 :1900年(明治33年)6月20日生- 1945年(昭和20年)3月24日没。 :東大法科卒業後、川崎第百銀行に就職。堀辰雄・神西清・川端康成らと、「文學」の創刊に参加。「文學」の発行元の第一書房の立て直しに奔走していた1945年(昭和20年)、馬込文学圏の自宅(南馬込4丁目)で心臓病で倒れ、45歳で急逝。 ;娘・総子(筆名:宗瑛、井本しげ) 小説家 :1907年(明治40年)8月2日生 - 1982年(昭和57年)10月没。 :兄にしたがって1928年(昭和3年)、「山繭」4月号に『胡生の出発』を掲載。1929年(昭和4年)、「文學」11月号に堀辰雄の推賞を受け『プロテウスの倒影』を掲載後、5年間執筆活動する。商工省官僚・アイヌ語地名研究家の山田秀三と結婚後に筆を折った。75歳で死去。 :堀辰雄の『聖家族』の絹子、『菜穂子』の菜穂子のモデルとなった人物。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片山広子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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