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松村みね子 : ミニ英和和英辞書
松村みね子[まつむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

松村みね子 ( リダイレクト:片山広子 ) : ウィキペディア日本語版
片山広子[かたやまひろこ]

片山 広子(片山 廣子、かたやま ひろこ、1878年(明治11年)2月10日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の歌人随筆家アイルランド文学翻訳家松村みね子名義)。
外交官・吉田次郎の長女として東京麻布で生まれる。妹は次子、弟は精一と東作。東洋英和女学校卒。佐佐木信綱に師事して歌人として活動〔ここで15歳下で同窓の村岡花子と出会う。村岡は柳原白蓮伊藤伝右衛門と政略結婚をしたのを許せず、高等科に進んだが、毎週のように大森にある片山の家に訪ねて本を借り、「片山廣子さんが私を近代文学の世界へ導いて下さった」と書いている(村岡恵理編『花子とアンへの道』新潮社 2014年pp.36-41)。〕。
また、松村みね子の筆名で、ジョン・ミリントン・シングレディー・グレゴリーW・B・イェーツ等のアイルランド文学を中心に翻訳も行う。
芥川龍之介晩年の作品『或阿呆の一生』の37章で「才力の上にも格闘できる女性」と書かれ、『相聞』で「君」と歌われたのは片山広子の事だと言われている。堀辰雄の『聖家族』の「細木夫人」、『菜穂子』の「三村夫人」のモデルとも言われている〔桐山秀樹吉村祐美軽井沢という聖地』(エヌティティ出版、2012年)〕〔川村湊『物語の娘―宗瑛を探して』(講談社、2005年)〕。晩年の随筆集『燈火節』で、1954年度日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
==家族==
;夫・片山貞治郎 大蔵省勤務後、日本銀行理事
:- 1920年(大正9年)3月14日没。
:1899年(明治32年)に広子と結婚。50歳で死去。
;息子・片山達吉(筆名:吉村鉄太郎) 文芸評論家
:1900年(明治33年)6月20日生- 1945年(昭和20年)3月24日没。
:東大法科卒業後、川崎第百銀行に就職。堀辰雄神西清川端康成らと、「文學」の創刊に参加。「文學」の発行元の第一書房の立て直しに奔走していた1945年(昭和20年)、馬込文学圏の自宅(南馬込4丁目)で心臓病で倒れ、45歳で急逝。
;娘・総子(筆名:宗瑛、井本しげ) 小説家
:1907年(明治40年)8月2日生 - 1982年(昭和57年)10月没。
:兄にしたがって1928年(昭和3年)、「山繭」4月号に『胡生の出発』を掲載。1929年(昭和4年)、「文學」11月号に堀辰雄の推賞を受け『プロテウスの倒影』を掲載後、5年間執筆活動する。商工省官僚・アイヌ語地名研究家の山田秀三と結婚後に筆を折った。75歳で死去。
:堀辰雄の『聖家族』の絹子、『菜穂子』の菜穂子のモデルとなった人物。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「片山広子」の詳細全文を読む




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