|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular
松村 正恒(まつむら まさつね、1913年1月12日〔10+1web site 〕 - 1993年2月28日)は、愛媛県大洲市出身の日本の建築家である。 == 人物 == *1935年に武蔵高等工科学校(現・東京都市大学)を卒業後、土浦亀城建築設計事務所に就職、1941年の農地開発営団〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、146p〕を経て、終戦後は八幡浜市役所〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、150p〕に就職、江戸岡小学校(八幡浜市、1953年竣工)〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、118p〕を皮切りに、新谷中学校(大洲市、1955年竣工)〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、122p〕、日土小学校(八幡浜市、1958年竣工)〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、133p〕、持田幼稚園(松山市、1967年竣工)〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、138p〕など学校だけでなく病院まで手掛けた。事務所の登録証は気分によって「無休建築士」、「無給建築士」と貼り替えていた。 *1960年に文藝春秋5月号に建築家十傑に名を連ね〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、154p〕〔松村正恒著「住まい学体系060・無休建築士自筆年譜」住まいの図書館出版局、1994年、184p〕、同年には松山市に「松村正恒建築設計事務所」を開設〔ほっとde西伊予(ぴぃぷる・松村正恒) 〕、1990年に新日本建築家協会第1号終身会員〔ほっとde西伊予(ぴぃぷる・松村正恒) 〕に選ばれた。 *松村が設計を手掛けた八幡浜市立日土小学校の中校舎(1956年竣工)と東校舎(1958年竣工)は、木造モダニズム建築の代表例として、松村の没後の2012年12月28日付で文部科学大臣から重要文化財に指定された。戦後の学校建築では初の指定である〔愛媛新聞(2012年12月29日付)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松村正恒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|