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松根 光広(まつね みつひろ)は、江戸時代前期の山形藩重臣。最上氏の庶家。最上義守の三男で最上義光の弟、長瀞義保の子。「光」の字は義光からの偏諱であり、名前は「あきひろ」とも読む。 == 生涯 == 白岩備前守広教の養子になり、白岩城主になる。1615年(元和元年)、松根城を築き10000石の領主となる。後に主家が寒河江氏を滅ぼすと、再び白岩城を与えられ、12000石の領主となった。白岩、松根はともに六十里越街道の要所で、光広はこの街道を抑えた。義光の代にはそう目立った活躍はしていないが、2代藩主家親の代から活躍。家親の死に際して、叔父楯岡光直の謀殺だと主張し、光直や鮭延秀綱と対立。幕府は光直を呼び出すが、証拠がつかめず、光広は筑後国柳河藩の立花宗茂の下に配流された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松根光広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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