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松殿 忠房(まつどの ただふさ、建久4年(1193年) - 文永10年3月20日(1273年4月9日))は鎌倉時代の公卿。松殿基房の四男。正二位・大納言。 == 経歴 == 建仁2年12月(1203年1月)元服と同従五位上に叙される。近江権介や右中将歴任のち、建永2年(1207年)従三位に昇る。建暦元年(1211年)権中納言、翌年に中納言、建保3年12月(1216年1月)権大納言に昇る。 元仁元年12月25日(1225年1月)には大納言に昇った。この時点で三条家・西園寺家・大炊御門家等の清華家当主達とは昇進速度はほぼ同じだった。しかし、父・基房の死後、三条実親・西園寺実氏・土御門定通・大炊御門家嗣・徳大寺実基が次々忠房を追い越して大臣に昇進する(彼らのうち、実基以外は権大納言から正官を経ないで昇進している)。九条道家・一条実経父子の失脚時には摂関の候補者にもなった〔『民経記』寛元4年9月25日条。〕が、就任はかなわなかった〔樋口健太郎『中世摂関家の家と権力』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4280-8 P382-383。〕。 大納言に22年留まったまま宝治元年に出家。文永10年(1273年)に薨去。享年81。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松殿忠房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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