翻訳と辞書
Words near each other
・ 松永理生
・ 松永瑞方
・ 松永町
・ 松永町 (曖昧さ回避)
・ 松永直子
・ 松永真
・ 松永真理
・ 松永真穂
・ 松永碩
・ 松永祥兵
松永章
・ 松永緑弥
・ 松永美穂
・ 松永美隆
・ 松永義弘
・ 松永義雄
・ 松永耳庵
・ 松永良弼
・ 松永英也
・ 松永英伸


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松永章 : ミニ英和和英辞書
松永章[まつなが あきら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [しょう, あきら]
 【名詞】 1. (1) chapter 2. section 3. (2) medal 

松永章 : ウィキペディア日本語版
松永章[まつなが あきら]

松永 章(まつなが あきら、1948年8月8日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ゴールへの嗅覚の鋭さから「ハイエナ」の異名で呼ばれたストライカーである。
== 来歴 ==
1967年の藤枝東高校3年次にはキャプテンとして同校を戦後初となる選手権高校総体国体の3冠獲得に導き(なお、3年時の公式戦の記録は72戦70勝2分である)日本ユース代表に選出された。その後、早稲田大学を経て、1971年に日本サッカーリーグ日立製作所サッカー部に入部した。
日立では監督・高橋英辰の厳しい指導の下「走る日立」の異名で呼ばれたチームの中心選手として1972年の日本リーグ初制覇に貢献。また、得点ランキングにも常に顔を出し、釜本邦茂とは毎年激しい得点王争いを繰り広げ、2年連続で得点王(1972年、1973年)に輝いた。JSL通算82得点は釜本、碓井博行に次ぐ第3位。1974年第13節のトヨタ自動車工業サッカー部戦において、ダブルハットトリック(1試合6得点)を記録した。
1973年から1977年にかけて日本代表にも選ばれモントリオールオリンピック予選などに出場したが、同じポジション(純粋なセンターフォワード)に釜本邦茂がおり、また自身も肝心な時期に骨折に見舞われ、国際Aマッチは10試合出場の2得点であった。
引退後は母校の早稲田大学ア式蹴球部の監督を務め、1993年、1994年に全日本大学サッカー選手権大会、1996年に関東大学リーグ優勝に導いた。
2014年5月31日に開催された「サッカーレジェンドマッチ」に出場した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松永章」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.