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松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 1943年1月20日)は、静岡県志太郡出身のサッカー選手。 == 来歴 == 静岡県志太郡東益津村(現焼津市)出身。 フォワードを務め、100メートルを10秒8台で走る俊足であったという。東京文理科大学附置東京高等師範学校に入学し、蹴球部に所属。在学中に1936年のベルリンオリンピックの日本代表に選出。8月4日の本大会1回戦、優勝候補のスウェーデン代表戦で、後半40分に相手ゴールキーパーの股下を抜く逆転ゴールを決め、のちに「ベルリンの奇跡」と称される勝利の立役者となった。 1937年、同校3年次に陸軍に従軍して静岡の連隊に配属された。なお、その際に松永は「戦争には行きたくない。もう一度ドイツに行って蹴球(サッカー)を学び、指導者になりたい」と妹に語ったと伝わっている〔。オランダ領東インド方面へ転戦した後、1943年1月にガダルカナル島で戦死した〔「W杯ドイツ大会「ベルリンの奇跡」戦死のサッカー元代表遺族、試合見守る」朝日新聞、2005年8月18日、2014年7月9日閲覧〕。 のちに同じく日本代表選手としてプレーした松永信夫、松永碩は実弟にあたる。また、甥に大学生時代に天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝した松永忠史がいる。 ベルリン五輪で松永が着用した日本代表のユニフォームが今日まで残っており、現存する最古の代表ユニフォームとして秩父宮記念スポーツ博物館に保管されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松永行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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