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松浦 守美(まつうら もりよし、文政7年(1824年)‐ 明治29年(1896年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての浮世絵師。 == 来歴 == 山下守胤の門人。姓は松浦、名は安平。守美、守義、応真斎守義、応真斎、応真斎国美、国美、国義、応真斎国義と号す。富山に生まれる。父は絵師で、雪玉斎春信と称していた。作画期は嘉永6年(1853年 )頃から没年にかけてであった。明治19年(1886年)まで富山売薬版画の下絵を描いていた。特に名所絵、福絵、役者絵、広告絵、暦絵、童話絵、歴史絵、年中行事絵のほか、商売繁盛に因む縁起物などの題材の絵を多く描いている。また富山藩第10代藩主の前田利保の絵所預となっており、嘉永6年刊行、利保著の『本草通串証図』の挿絵を始めとして、安政3年(1856年)の序のある『俳諧多磨比路飛』、翌安政4年(1857年)刊行の『麻頭巾集』及び『俳諧画讃百類集』、安政6年(1859年)刊行の『八重すさび』、刊行年未詳の『俳諧四季織』などの挿絵を描き、好評を得ている。 他に、国義の署名のある絵馬「石橋山合戦」を描いており、富山市の稲荷神社に奉納している。明治7年(1874年)には全国を漫遊し、神社仏閣、山水勝地などの写生を行った。明治11年(1878年)9月に明治天皇が北陸巡幸をされた際、船橋及び呉羽山の真景を描いて押絵の額面として献上した。享年63。 門人に息子の五浄がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松浦守美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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