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松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授。過去に、駐フランス共和国特命全権大使や国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 == 来歴 == 1956年、東京都立日比谷高等学校卒業。1958年、東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、1959年外務省に入省。同期には渡辺允(侍従長)、木幡昭七(経済協力局長)、西崎信郎(駐ペルー大使)、高瀬秀一(駐蒙大使)ら。在アメリカ大使館参事官、外務大臣官房審議官、香港総領事、経済協力局長、北米局長、外務審議官などを経て1994年、駐フランス大使となる。1998年に世界遺産委員会議長に就任、1999年には日本人としては初めて(アジアからの選出としても初)のユネスコ事務局長に就任した。日本ユネスコ協会連盟特別顧問、立命館大学特別招聘教授〔〕、中部大学中部高等学術研究所客員教授〔〕、大阪大学大学院国際公共政策研究科客員教授〔〕、中国人民大学名誉教授なども務める。 経済の専門家として知られ、仏文学にも精通している。アフリカ彫刻の見識が深くワイン通としても知られる。 2009年11月14日にユネスコ事務局長を退任、退任式は10月22日、後任はブルガリアのイリナ・ボコヴァ。2期10年の在任中は、ユネスコの組織改革に尽力し縁故人事や不透明経理が横行していた組織内の行政・財政改革を断行、放漫運営を理由にユネスコ脱退していたアメリカが2003年10月に松浦の改革を評価し長年の課題であった復帰も実現させた。また、無形文化遺産保護条約や文化多様性条約など文化遺産保護の業績も残している〔組織改革・米復帰で松浦氏評価 ユネスコ事務局長 2009年10月22日 47NEWS〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松浦晃一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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