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松田元成 : ミニ英和和英辞書
松田元成[まつだ もとなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

松田元成 : ウィキペディア日本語版
松田元成[まつだ もとなり]

松田 元成(まつだ もとなり、生年不詳 - 文明16年(1484年)2月)は戦国時代武将松田元藤の父。松田元澄或いは松田元隆の子や松田直頼の次男と諸説あるが詳細は明らかでない。官途名は左近将監。豊後守。墓所は岡山県岡山市東区瀬戸町
== 経歴 ==
文明12年(1480年)、以前の富山城から金川城へと居城を移した。
文明15年(1483年)、元成はかねてより赤松氏と険悪であった山名氏と密かに結び備前に山名氏の軍勢を引き入れ赤松氏へと反旗を翻す。
これに対し備前守護赤松政則三石城浦上則国松田氏追討を命じた。これに対し元成は山名氏へ援軍を依頼し赤松方の小鴨大和守、浦上則国、浦上基景らが守る福岡城を攻める。
京の浦上則宗は赤松政則に福岡城へ援軍を送るよう要請し、赤松政則は福岡城に浦上則景の兵を送り、さらにそれと同時に赤松政則も山名氏の領地である但馬へと出兵するが政則の軍は山名勢に惨敗し逆にそれを追って山名勢が播磨へと押し寄せる事となった。
この知らせを聞いた備前の赤松勢の士気の低下は大きく浦上則景は福岡城への援軍に駆けつけられず兵を引き返す事になり、また福岡城からも城から政則の元に重臣が逃げ出すなどの事態となった。
その混乱に乗じて元成と山名勢は福岡城を攻め、50日の籠城戦の末に福岡城を攻め落とす。(福岡合戦)。
元成はその勢いに乗じて文明16年(1484年)2月、三石城へ攻めようとしたが、途中吉井川の東の天王原において浦上則宗に攻撃され大敗し、磐梨郡弥上村山にて自害して果てた。
不受不施派を熱心に信奉しており、領内の他宗派の教徒を半ば強引に改宗させるなど少々、過剰なまでに手厚く外護を加え後々この地域に不受不施派が根付く大きな要素となった。
また、山名勢を引き入れたのは守護権力からの独立が目的だったのでは無いかとされている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田元成」の詳細全文を読む




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