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松田 元陸(まつだ もとみち、生年不詳 - 享禄4年6月4日(1531年7月17日))は戦国武将。松田元藤(元勝)の子。子に松田元盛。元隆とも呼ばれる事が多いが復元された系図により元陸という名であった事が判明した。〔榎原雅治著『日本中世地域社会の構造「備前松田氏に関する基本的考察」』参照〕 == 経歴 == 祖父の松田元成の戦死以降、赤松氏、浦上氏との対立が根深い松田氏であったが永正16年(1519年)、赤松義村と対立し三石城に籠もった浦上村宗と元陸は密かに同盟し、村宗と義村の対立騒動では常に村宗方に味方し、村宗の赤松家中の実権掌握の一助を担う。 それにより元陸の権力も強まり、大永2年(1522年)、将軍足利義晴により侍所所司代に命ぜられる。後に日蓮宗妙覚寺の別当も務めた。 享禄4年(1531年)、将軍足利義晴の命により天王寺合戦に参加、赤松政祐の裏切りで村宗や細川高国もろとも戦死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松田元陸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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