|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 方 : [ほう] 1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 陰 : [かげ] 【名詞】 1. shade, shadow 2. other side 3. negative ・ 流 : [りゅう] 1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought)
新影幕屋流(しんかげまくやりゅう)とは、松田清栄(松田織部之助)の系統の新陰流。松田派新陰流、松田方新陰流、幕屋新陰流とも呼ばれる。 松田清栄は大和の豪族・戒重氏に仕え(戒重氏の重臣・幕屋氏に仕えていたともいう)、柳生宗厳と同じく大和での上泉信綱の門人で剣の達人であった。戒重氏が筒井順慶に滅ぼされると、同門の柳生宗厳を頼ったが、大和の領主となった豊臣秀長に柳生氏の検地逃れを密告したため、柳生氏の家臣に殺害されたという。 清栄の剣技は子孫に受け継がれ、清栄のひ孫の幕屋清信(幕屋大休)が越前松平家に仕えたことにより、福井藩に伝えられた。 清信の弟の幕屋与右衛門は江戸に出て道場を開き、寛文期の剣の達人として知られた。江戸で幕屋与右衛門は7人に同時に斬りかかられたが、短刀のみで6名を刺殺し(残り1名は負傷しながら逃走)撃退したと伝えられている。 清信の孫の幕屋貞清は福井藩を去ったが、清信は藩主に流儀を残すことを願い出、横山記章に流儀を継承させて福井藩に新影幕屋流を残した。以後、横山家は福井藩の剣術師家の一つとして当流を伝えた。 == 関連項目 == *十兵衛暗殺剣 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新影幕屋流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|