翻訳と辞書
Words near each other
・ 松田梨紗子
・ 松田梨香
・ 松田権六
・ 松田樹利亜
・ 松田樹里
・ 松田樹里 (モデル)
・ 松田樹里 (レースクイーン)
・ 松田次生
・ 松田正久
・ 松田正之
松田正俊
・ 松田正民
・ 松田正隆
・ 松田武
・ 松田武 (歴史学者)
・ 松田武夫
・ 松田武己
・ 松田武彦
・ 松田毅一
・ 松田氏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松田正俊 : ミニ英和和英辞書
松田正俊[まつだ まさとし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

松田正俊 : ウィキペディア日本語版
松田正俊[まつだ まさとし]

松田 正俊(まつだ まさとし、1980年9月4日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)
== 来歴 ==
1996年船橋市立船橋高等学校に進学し、3年時には同期の西紀寛と共にインターハイを制し、さらに千葉県選抜として国体で優勝を果たした。同年の全国高校選手権では玉田圭司を擁した習志野高校に千葉県予選で敗れ、出場はならなかった。市立船橋の同期には他に岩佐潤(バスケットボール部)、高橋美佳子(吹奏楽部)、佐藤章晶(硬式野球部)がいる。
1999年J2FC東京に加入。シーズン途中にJFL横浜FC期限付き移籍し、リーグ優勝に貢献した。2000年にFC東京に復帰したが、J1に昇格したチームではアマラオツゥットの2トップが定着したために出場機会は限られた。2001年はシーズン開幕前から好調を維持し、持ち前の強烈なシュートと豪快なヘディングを武器に練習試合で得点を量産したが先発には食い込めず、同年9月よりJ2・ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍し〔 FC東京 (2001年8月27日)〕主力の一角として活躍した。
2003年柱谷幸一が監督を務めるJ2・モンテディオ山形へ移籍〔 FC東京 (2002年12月3日)〕〔 モンテディオ山形 (2002年12月3日)〕。好ペースで得点を挙げていたが〔選手出場記録 (1/3) Jリーグ (2003年11月23日)〕、同年5月のJ2第10節甲府戦で左膝前十字靭帯及び内側側副靱帯断裂し〔松田正俊選手の負傷について モンテディオ山形 (2003年5月9日)〕、長期のリハビリとコンディション調整を強いられた。翌2004年9月の水戸戦で得点を挙げ復調の兆しを見せたが〔J2:第32節 山形 vs 水戸 レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2004年9月6日)〕、この年限りで山形を退団。
2005年、J2・京都パープルサンガへ移籍〔松田正俊選手 京都パープルサンガへ完全移籍のお知らせ モンテディオ山形 (2004年12月28日)〕。松田の苦闘を知る柱谷の下でのプレーとなり〔【J2:第11節】横浜FC vs 京都:柱谷幸一監督(京都)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2005年5月7日)〕、限られた出場時間の中で8得点を挙げ、京都のJ1昇格に貢献した。2006年限りで契約満了により退団〔 京都パープルサンガ (2006年12月1日)〕。
2007年、JFL・TDKサッカー部(現 ブラウブリッツ秋田)に移籍。チームトップ(リーグ3位)の18得点を記録〔順位表・戦績表 第9回日本フットボールリーグ (2007) 日本フットボールリーグ (2007年12月2日)〕。同年の天皇杯では、4回戦で古巣・FC東京から得点を挙げ、相手サポーターからも声援を送られた〔【第87回天皇杯4回戦 F東京 vs TDK SC】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2007年11月4日)〕。
2008年にJFL・栃木SCに移籍。自身三度目となる柱谷の率いるチームでJ2昇格を目指し、昇格が懸かったJFL後期第15節高崎戦ではハットトリックを挙げて勝利に貢献した〔昇格圏 4位以内が確定 アルテ高崎に6-1で大勝 47NEWS (2008年11月17日)〕〔【JFL後期第15節:アルテ高崎戦】試合結果 -本日の勝利でJリーグ昇格条件であるJFL4位以内が確定しました!- 栃木SC (2008年11月16日)〕。
2009年9月、栃木から期限付き移籍する形で、TDKに復帰〔松田正俊選手、井上雄幾選手 TDK SCに期限付き移籍のお知らせ 栃木SC (2009年9月15日)〕。シーズン途中の加入ながらチームトップタイの7得点を記録し〔 順位表・戦績表 第11回日本フットボールリーグ (2009) 日本フットボールリーグ (2009年11月29日)〕、低迷していたチームを中位へ引き上げた。2010年より秋田(TDKから改称)へ完全移籍〔松田正俊選手 ブラウブリッツ秋田へ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2010年1月20日)〕。同年のJFLベストイレブン、2011年には同リーグの得点王(20得点)を獲得した。主将としてもチームを牽引し〔ブラウブリッツ秋田 (12年連続20回目) 第93回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 47NEWS (2013年8月29日)〕、「ミスターブラウブリッツ〔ミスターブラウブリッツ ブラウブリッツ秋田公式ブログ (2013年11月18日)〕」「雷神〔ブラウブリッツの「ブリッツ」は稲妻を意味する。〕」「キングオブブラウブリッツ〔ブラウブリッツTV 松田正俊選手 秋田放送 (2013年11月24日)〕」といった呼び名で慕われた。2013年11月17日のJFL第33節滋賀戦でJFL通算200試合出場と100得点を達成し、同年をもって現役を引退〔松田正俊選手 現役引退のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2013年11月13日)〕。同クラブの育成コーチ兼アンバサダーに就任した〔松田 正俊氏 育成コーチ兼アンバサダー就任のお知らせ ブラウブリッツ秋田公式サイト〕。2015年1月、秋田のヘッドコーチに就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田正俊」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.