翻訳と辞書
Words near each other
・ 松田洋祐
・ 松田派新陰流
・ 松田浩
・ 松田浩二
・ 松田浩平
・ 松田浩次
・ 松田清
・ 松田清 (文化環境学者)
・ 松田清宏
・ 松田清彦
松田源治
・ 松田潤治
・ 松田理奈
・ 松田理沙
・ 松田琉冬
・ 松田瑞穂
・ 松田瓊子
・ 松田甚兵衛
・ 松田甚次郎
・ 松田由太郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松田源治 : ミニ英和和英辞書
松田源治[まつだ げんじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

松田源治 : ウィキペディア日本語版
松田源治[まつだ げんじ]

松田 源治(まつだ げんじ、1875年10月4日 - 1936年2月1日)は、日本政治家衆議院議員(当選9回)。拓務大臣文部大臣、衆議院副議長を務めた。中央大学日本大学卒業。
== 来歴 ==
大分県出身。弁護士から大分県区の衆院選に立候補し、1908年明治41年)に初当選。初め立憲政友会に入る。1915年大正4年)3月の大分県区第12回衆議院議員総選挙では次点で落選したが11月に同じ立憲政友会で当選した成清博愛の辞退により政界に返り咲いた。1924年(大正13年)に政友本党結成に参画し離党。1927年昭和2年)、政友本党が憲政会と合併して立憲民政党を結成するとそれに伴い自らも民政党に所属することになる。1929年(昭和4年)、濱口内閣拓務大臣に就任し初入閣。1934年(昭和9年)、岡田内閣文部大臣に就任し2回目の入閣を果たしたが、在任中に病死した。
文部大臣就任から間もない1934年8月29日に「近頃、家庭でパパだのママだのという言葉がはやっているようだが、もってのほかだ。日本語を使ってお父さん、お母さんと呼ばないから日本古来の孝道が廃れるのだ」といった内容を語ったことが報じられ、議論を呼んだ。また1935年には日本美術展覧会が運営を巡って紛糾する原因になる「松田改組」を強行した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田源治」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.