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松田 知己(まつた ともみ、昭和38年(1963年)9月1日 - )は、日本の政治家。秋田県仙北郡美郷町長(3期)。 == 人物略歴 == 秋田県仙北郡仙南村金沢西根二ツ柳出身。松田家の末っ子(三男)として生まれたが、長兄が県外に出たため「家を継ぐのはお前だ」と言われて育ったという〔仙南村の助役は33歳──村長の補佐役をこなして7カ月目 (秋田県南日々新聞、1997年5月6日)〕。 仙南村立仙南西小学校、同仙南中学校を卒業後、昭和57年(1982年)秋田県立横手高等学校を卒業。東北大学農学部に入学して昭和61年(1986年3月に同大学同学部を卒業した。この年の4月、秋田県職員に採用された。以後、県の農政にたずさわり、平成7年(1995年)4月からは秋田県農業試験場(秋田市四ツ小屋)主任を務めた。同年8月、激しい選挙戦の末仙南村長となった斎藤克己より助役就任の要請を受け、9月秋田県庁を退職、妻子を連れて仙南村の実家にもどった〔。10月1日、33歳の若さで仙南村助役に就任、県内69市町村(当時)中、最も若い助役として話題となった〔。当時、パソコンを扱える自治体三役は必ずしも多くなかったという〔。 斎藤村長が1期で退任したのち、平成12年(2000年)8月の村長選に立候補して無投票当選し、37歳で仙南村長に就任した。村長時代の業績としては、国道13号線沿いの金沢地区に「道の駅雁の里せんなん」を登録・開駅、野外でのジャズコンサート「ジャズフェスティバル in 仙南」の実現などが挙げられる。 平成16年(2004年)、2期目となった直後の11月1日、仙南村・六郷町・千畑町が対等合併して新町「美郷町」が成立、これにともない仙南村長を失職した〔「美郷町長選」旧仙南村長の松田氏、圧勝:公平と誠実な行政、融和と前進が浸透 (秋田県南日々新聞、2004年11月28日)〕。この合併は、「平成の大合併」における秋田県内最初の大型合併であった。なお、松田は合併前の8月時点で美郷町長選への立候補を表明している〔。11月28日、初代美郷町長を決める町長選がおこなわれた。前千畑町長藤嶋長右エ門との一騎打ちとなったが、開票の結果松田が1万0,152票、藤島が6,655票をそれぞれ獲得し、松田が当選して初代美郷町長となった〔。 美郷町長としては、地域エゴを排して新町の融和に努めるとともに経費のムダを排して行政効率を高めるという大方針のもと、認定こども園「千畑なかよし園」「六郷わくわく園」「仙南すこやか園」3園による幼保一元化教育の実施など福祉の充実、六郷湧水群を中心とした誘客体制の整備と集客施設等の設置など観光振興に取り組んでいる〔県内町村・首長紹介「美郷町」 (秋田県町村会)〕。仙南村長時代からの「ジャズフェスティバル in 美郷」や美郷町長就任後の「美郷フェスタ」の開催など各種イベントの実施にも尽力し、 中華民国(台湾)花蓮県瑞穂郷との友好交流も進めた。また、行財政改革を進め、当初の分庁方式を見直して役場機能を旧千畑町役場に集中させ、小・中学校の統合を進める一方、公民館・図書館・体育館などは地域のバランスも考慮しながら集約化と再編を図っている〔第4回 都市自治体におけるファシリティマネジメントに関する研究会「秋田県美郷町現地調査報告」 (公財)日本都市センター研究室〕。 平成22年(2010年)、北都銀行取締役会長町田睿(千畑地区出身、秋田市)、元東京大学総長佐々木毅(千畑地区出身、東京都)、絵本作家・イラストレーターの永田萠(兵庫県出身、京都府)の3氏を「美郷大使」に委嘱し、8月25日に町役場で就任式を行った〔美郷町で「大使」制度 佐々木元東大総長ら3人に委嘱状 (秋田県南日々新聞、2010年8月25日)〕。平成24年(2012年)12月からは、「国道13号横手・大曲間4車線化整備促進期成同盟会」の会長も務めている〔国道13号横手・大曲間4車線化へ/横手市、大仙市、美郷町、整備促進に向けて期成同盟会設立総会開催 (秋田県南日々新聞、2012年12月19日)〕〔副会長は、五十嵐忠悦横手市長(当時)・栗林次美大仙市長であった。〕。 平成25年(2013年)、統廃合によって使われなくなった小学校の校舎の再利用として、旧仙南東小学校、千畑南小学校は改修を施したうえで、それぞれ「美郷町宿泊交流館ワクアス」「美郷町歴史民俗資料館・佐々木毅記念室」として利用する方針を決め、旧仙南西小学校、金沢小学校、六郷東根小学校については民間企業に貸し出して雇用拡大と企業活動支援をおこなうこととした〔空き校舎を企業に貸し出し 美郷町、学校統合で廃校になった3校舎:雇用拡大や企業支援を狙いに3企業と契約締結 (秋田県南日々新聞、2013年9月1日)〕。それぞれ当該企業と契約をむすんで(株)大同衣料のストックヤード、三共光学工業秋田事務所、(株)ENEXの農産物生産試験場として利用されることとなった〔〔。 秋田大学、国際教養大学、秋田県立大学などの県内教育研究機関、日本航空・龍角散・山崎帝国堂・公益社団法人 東京生薬協会など首都圏の企業・団体との提携にも熱心である〔JAPAN AIRLINES「秋田県美郷町との連携協力協定を締結」 ("JAL AREA NEWS" 2013年4月4日)〕〔龍角散のルーツ 〕 〔美郷町「山崎帝国堂」との交流 〕〔美郷町「東京生薬協会」との交流 〕〔日本航空との提携は機内食の食材提供などを機縁にはじまり、ラグビーチーム"JAL WINGS"、チアダンスチーム"JAL JETS"を町に招いてのイベントなどを開催している。また、龍角散・山崎帝国堂・東京生薬協会との提携は、のちに龍角散を開業した久保田藩の御典医だった藤井玄淵が当町出身であったことを機縁にはじまり、遊休農地を利用した町内での薬草栽培などにつなげたい考えである。〕。自治体間交流は、旧町村から引き継いだ東京都大田区・栃木県那珂川町に加え、ラベンダーを通して北海道中富良野町との連携協力協定、大田区を介して長野県東御市とも3自治体からなる防災協定を結ぶなど、交流のネットワークを拡大した。 好物は焼きそばである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松田知己」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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