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松田 秀雄(まつだ ひでお、1851年(嘉永4年8月) - 1906年(明治39年)1月23日)は、初代東京市長の衆議院議員。 == 略歴 == * 1851年(嘉永4年8月) - 近江国彦根藩士の家に生まれる。 * 1889年(明治22年)11月 - 東京市神田区会議員に初当選。 * 1890年(明治23年) - 神田高等女学校(現在の神田女学園中学校・高等学校)を創立する。 * 1891年(明治24年) - 東京府会議員に選出され、後に副議長となる。 * 1894年(明治27年)3月1日 - 第3回衆議院議員総選挙で、東京第7区から立候補するも落選。 * 1895年(明治28年)3月 - 衆議院議員に東京第7区から初当選。 * 1896年(明治29年)1月 - 東京府会議長代理となる。 * 1896年(明治29年)12月 - 東京府農工銀行頭取となる。 * 1898年(明治31年)3月15日 - 第5回衆議院議員総選挙で、東京第7区から当選。 * 1898年(明治31年)8月10日 - 第6回衆議院議員総選挙で、東京第7区から当選。 * 1898年(明治31年)10月6日 - 初代東京市長となる。 *: 最有力候補と目された徳川家達が固辞し、市会の選挙により谷干城候補をしのいで当選した。 * 1903年(明治36年)6月15日 - 東京市長を辞職する。 *: 市会の否決を無視して政府が土木事業の予算を更正認可したことを不満とし、その退職理由を明記して辞職した。 * 1906年(明治39年)1月23日 - 死去。墓標は谷中霊園に所在。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松田秀雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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