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エンゼル館(エンゼルかん、)は、かつて存在した日本の映画館である。のちに松竹エンゼル館(しょうちくエンゼルかん)と改称した。 == 概要 == ジェームズ・ガーディナーのガーディナー建築事務所の技師荒木賢治が設計・施工した。経営したのは、江戸・本所出身の佐藤市太郎で、1907年(明治40年)に旭川、1910年(明治43年)に札幌、1911年(明治44年)に小樽、室蘭、帯広、釧路、常呂郡野付牛村(現在の北見市)にそれぞれ「神田館」という活動写真常設館(現在でいう映画専門館)を建設した人物である。1960年(昭和35年)発行の『旭川市功労者伝』には、エンゼル館が札幌の神田館と同じ年に建てられたとあるが〔、1913年(大正2年)7月9日の『北海タイムス』の記事によれば、「大正2年」(1913年)に竣工、開業したと報じられている〔。 大正末年の1920年代には、札幌市内の映画館は、同館のほか、錦座、帝国館、中央館、金春館、遊楽館、松竹館、美満壽館、八二館の8館が存在した〔''全国主要映画館便覧 大正後期編 北海道''、みつ豆CINEMA, 2012年6月11日閲覧。〕。 1927年(昭和2年)4月22日付『北海タイムス』に同館が出した広告によれば、沼田紅緑監督の『江戸嵐』や富沢進郎監督の『漂泊の人』のようなマキノ・プロダクション製作の新作だけでなく、マキノ映画製作所が1923年(大正12年)に製作した沼田監督の『鮮血の手型 前篇・後篇』のような旧作や、パラマウント映画が1925年(大正14年)に製作した監督の『』といったアメリカ映画も、同じ週の番組として上映していた〔『北海タイムス』、1927年4月22日付、第2面。〕。同年、報知新聞の招待で来日したノルウェーの探検家ロアール・アムンセンが札幌での講演を、同年7月3日、同館で行っている〔『北海道新聞』夕刊、2011年7月28日付。〕。 1932年(昭和7年)の時点では、札幌市内の映画館は、同館のほか、三友館、盛賑館、中央館、遊楽館、松竹座、美満壽館、美登喜館、八二館の8館が存在した〔''昭和7年の映画館 北海道''、中原行夫の部屋、2012年6月11日閲覧。〕。 1968年(昭和43年)、閉館した。現在は跡地に、1988年(昭和63年)3月に竣工した「札幌北三条ビル」が建っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンゼル館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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