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松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926年2月15日 - 2015年2月28日)は、日本の児童文学作家。 父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。自伝として、『自伝 じょうちゃん』、『小説・捨てていく話』がある。 == 来歴・人物 == 1926年(大正15年)、東京市神田区元岩井町(現・千代田区神田岩本町)に4人きょうだいの末っ子として生まれる〔松谷みよ子『じょうちゃん』朝日新聞社 2007年〕。西巣鴨第五尋常小学校から東洋高等女学校に進み、1943年に卒業。家の事情もあり大学には進まず旧日本勧業銀行に就職、その後JTBで編集に従事する。1945年、東京への空襲がはげしくなって家族とともに長野県中野市に疎開。1947年に長野で、1948年に東京で坪田譲治を訪れて〔師事。坪田が1951年に創立したびわの実学校にも参加し、以後びわの実会では坪田の引退後も責任編集などを担当する。1951年には童話集『貝になった子供』があかね書房から出版され、第1回児童文学者協会新人賞を受賞する〔。 1955年11月、人形劇活動を通じて知り合った瀬川と結婚、12月にはともに人形劇団太郎座を創設。1956年、瀬川とともに民話の研究を始めなる。瀬川と共著で1957年に『信濃の民話』を出版〔「松谷みよ子年譜」『松谷みよ子の本 別巻ー松谷みよ子研究資料』収録〕。 1960年の『龍の子太郎』は民話を再創造し、第1回講談社児童文学作品を受賞した。同書で61年、第8回産経児童出版文化賞、62年、国際アンデルセン賞優良賞を受賞〔。また1961年には太郎座の第1回本公演で瀬川脚色による人形劇「龍の子太郎」が上演された。 1964年、『ちいさいモモちゃん』で第2回野間児童文芸賞、NHK児童文学奨励賞を受賞。以後、モモちゃんシリーズを続けるが、そのうち「モモちゃん絵本」を除いた6巻が『モモちゃんとアカネちゃんの本』シリーズとされ、1974年の『モモちゃんとアカネちゃん』で赤い鳥文学賞受賞。620万部のロングセラーとなった〔。だがその後瀬川とは離婚している(詳細は瀬川拓男を参照)。 当時の童心社の編集長・稲庭桂子と1964年の「おはなしだいすき」の作品を取り上げ、乳児向けとして「あかちゃんの本」の作成を企画。1967年に刊行された『いないいないばあ』、「あかちゃんの本」のシリーズ、『いいおかお』(1967年)、『もうねんね』(1968年)、『のせてのせて』(1969年)、『おふろでちゃぷちゃぷ』(1970年)を出版〔いずれもトーハン『ミリオンブック』2008年度版。〕。 1972年、私設文庫「本と人形の家」を設ける。 また1970年代半ば以降は「モモちゃん」シリーズの第6作『アカネちゃんとなみだの海』(1992年、第30回野間児童文芸賞受賞)。1985年に始められた『現代民話考』シリーズがある。ほかに、「オバケちゃん」シリーズ、『ふたりのイーダ』に始まる「直樹とゆう子」の5部作がある。1994年、『あの世からの火 直樹とゆう子の物語』で小学館文学賞受賞。平和運動に熱心で、戦争と平和をめぐる作品「ふたりのイーダ」「まちんと」「とうろうながし」「ぼうさまになったからす」「ミサコの被爆ピアノ」などがある。1979年には『私のアンネ=フランク』で日本児童文学者協会賞受賞。1997年に巌谷小波文芸賞を受賞〔。 2015年2月28日、老衰のため東京都内の病院で死去。89歳没〔児童文学作家の松谷みよ子さん死去 「ちいさいモモちゃん」など ,スポーツニッポン,2015年3月9日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松谷みよ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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