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松野 頼久(まつの よりひさ、1960年9月19日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(6期)。 内閣官房副長官、日本維新の会国会議員団代表、維新の党代表代行兼国会議員団会長、維新の党幹事長、維新の党代表を歴任。父は衆議院議員、防衛庁長官、農林大臣、労働大臣、総理府総務長官を歴任した松野頼三。祖父は参議院議長、鉄道大臣、衆議院議員を歴任した松野鶴平。次女・松野未佳は2016年ミス日本コンテストグランプリ受賞者である。 == 来歴 == 熊本県鹿本郡菊鹿村(現・山鹿市)生まれ。父は松野頼三。慶應義塾高等学校を経て1987年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。父・頼三が、元熊本県知事で日本新党を結党した細川護熙の政治的な後見人であった縁で日本新党に入党し、1993年より日本新党本部に勤務する。1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加し、同党事務局に勤務。1997年、細川の新進党離党に伴い自身も新進党を離れ、フロム・ファイブを結党した細川の秘書に転じる。 細川は自身が結党したフロム・ファイブのほか新党友愛、民政党を旧民主党に合流させ、民主党結党に尽力したが、その直後、還暦を理由に衆議院議員を辞職。細川の議員辞職に伴う衆議院熊本1区補欠選挙に民主党公認で出馬したが、自由民主党公認の岩下栄一に敗れ、落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙に再び熊本1区から民主党公認で出馬、岩下を破り初当選した。以後、熊本1区で連続4選。 2009年、鳩山由紀夫内閣で内閣官房副長官に任命され、鳩山内閣メールマガジンでは編集長を務める。2010年6月8日の鳩山内閣総辞職に伴い、官房副長官を退任した(後任は古川元久)。同年9月の民主党代表選挙では、現職の菅直人首相の再選を阻止するため立候補した小沢一郎の推薦人に名を連ねるが、小沢は菅に敗れた。同年10月、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に反対する民主党議員の勉強会「TPPを慎重に考える会」の立ち上げに参加し、同会幹事長に就任する。 2011年7月、政権公約を実現する会(鳩山グループ)幹事長に就任。同年9月、野田佳彦民主党代表の下で民主党国会対策副委員長に就任したが、直後の第178回国会の会期延長をめぐって松本剛明、加藤公一両国対委員長代理と共に辞表を提出し〔国対委員長代理ら辞表提出 党内不満の声も 日テレNEWS24 2011年9月17日〕、党内に混乱をもたらしたとして輿石東幹事長より1ヶ月間の謹慎処分を課された〔会期延長めぐり辞表提出の3議員に謹慎処分 日テレNEWS24 2011年9月21日〕〔松本国対代理ら「謹慎」に=輿石氏ら処分、民主内に不満 〕。同年12月、小沢一郎を会長に結成された新しい政策研究会に参加し、役員(オブザーバー)に名を連ねる。 2012年3月、自民・民主・みんなの3党の中堅・若手議員7名による超党派で大阪維新の会と連携した「道州制型統治機構研究会」を立ち上げ、会長代行に就任した。 同年6月、消費税増税法案を含む社会保障・税一体改革関連法案について、反対する意向を表明〔消費増税法案「造反」70人規模に 民主、鳩山系に拡大 〕〔民主60人超が造反の構え 消費増税、午後に衆院通過 日本経済新聞 2012年6月26日〕。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では反対票を投じた。 同年9月、民主党に離党届を提出し、前述の「道州制型統治機構研究会」のほかのメンバー6名とともに日本維新の会結成に参加した(民主党は松野の離党届を受理せず、除名処分を下した)。同年10月、日本維新の会国会議員団代表に就任。同年11月、太陽の党の日本維新の会への合流に伴い、国会議員団代表には平沼赳夫元経済産業大臣が就き、松野は国会議員団幹事長に就任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、熊本1区で自民党元職の木原稔に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、5選。 2014年、日本維新の会と次世代の党の分党に際しては橋下徹共同代表を中心とするグループの国会議員として中心的な役割を果たし、8月1日に発足した新生日本維新の会では国会議員団代表に復帰するとともに執行役員幹事長代行に就任した。 同年9月21日に維新と結いの党が合併してできた維新の党では執行役員として代表代行に指名され就任するとともに、翌22日に立候補の届出が行われた国会議員組織長選挙において無投票選出され、初代国会議員団会長に就任した。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、熊本1区で再び木原稔に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、6選。 2015年5月19日、維新の党は両院議員総会を開き、大阪都構想案否決、廃案の責任を取って辞任した江田憲司前代表の後任に松野氏を選出した。任期は同年9月までで、9月に代表選を改めて実施する予定であった。しかしその後、維新の党は幹事長の柿沢未途が山形市長選挙において民主党・共産党などが推薦する立候補者を独断で応援に訪れたことをきっかけに内部対立が鮮明化し、松野は橋下らと対立する。橋下は維新の党を離党し、松野執行部は2015年10月に橋下に近い議員を除籍処分とした。しかし橋下側は松野の代表任期は9月までであったと指摘し、除籍処分を無効と主張。10月24日に独自に党大会を開催し、馬場伸幸衆議院議員を党代表とする新執行部がその場で選出され、維新の党は執行部を名乗る勢力が2つ存在する事態となった。松野は馬場執行部を認めず、一方で馬場側は松野が代表任期が切れた後に政党の事務所所在地など変更する書類を党代表者として作成し、関係各署に提出したことは有印私文書偽造にあたると指摘し告訴する方針を表明、松野の維新の党代表としての地位は同年12月8日まで係争状態にあった。 2016年、維新の党は民主党と合流して民進党となったが、松野はかつて民主党を除名されたこともあり党役員への就任を固辞、無役となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松野頼久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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