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松阪電気 : ミニ英和和英辞書
松阪電気[まつさかでんき かぶしきがいしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
電気 : [でんき]
 【名詞】 1. electricity 2. (electric) light 
: [げ, き]
  1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of

松阪電気 : ウィキペディア日本語版
松阪電気[まつさかでんき かぶしきがいしゃ]

松阪電気株式会社(まつさかでんき かぶしきがいしゃ、旧社名:松阪水力電気株式会社)は、明治末期から大正にかけて存在した日本の電力会社である。中部電力管内にかつて存在した事業者の一つ。
1903年(明治36年)設立、1906年(明治39年)に現在の三重県松阪市を供給区域として開業した。設立から1921年(大正10年)までは松阪水力電気、同年以降は松阪電気と称する。1922年(大正11年)に三重県下主要事業者の統合に伴って三重合同電気(後の合同電気)へと合併された。合併時、供給区域は松阪市域を中心に三重県内に限られていたが、開業後の一時期は支社を設置して静岡県および富山県にも進出していた。
== 沿革 ==

=== 明治期 ===

三重県における電気事業の歴史は1897年(明治30年)に始まる。この年、三重県下では津市・宇治山田市(現・伊勢市)・四日市市の3都市において、津電灯宮川電気(後の伊勢電気鉄道)・四日市電灯(後の北勢電気)の3つの電気事業者が相次いで開業したのである〔浅野伸一「戦前三重県の火力発電事業」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第10回講演報告資料集 三重の電気事業史とその遺産、中部産業遺産研究会、2002年、118頁〕。この3社はいずれも開業時点では火力発電を電源としていた〔。
この3都市以外にも飯南郡松阪町(現・松阪市)にて電気事業の計画が起こり、1897年11月、地元の後藤友之助・安保庸三らの発起により松阪水力電気株式会社の設立が企図された〔中林正三 『飯南郡史』、飯南ト人材編纂会、1916年、233-238頁、〕。しかしながら松阪での事業計画は、水力発電が世の中に認知されていなかったことに加え不況の影響もあり、株式の募集に難渋して停滞していた〔。そのような中、日本各地で電気事業に関与していた実業家の才賀藤吉が参画し、株式の大部分を引き受けると事業は一転して進捗するようになり、1903年(明治36年)12月、ようやく創立総会を開いて会社の設立を見るに至った〔。役員は9名の発起人などから選ばれ、社長に後藤友之助、専務に安保庸三が就任した〔。
発電所は櫛田川沿いの多気郡津田村(現・多気町)に設置され、出力は270キロワットであった(鍬形発電所)〔黒川静夫『三重の水力発電』、三重県良書出版会、1997年、55-57頁〕。設置に際しては地元との交渉(発電所建設予定地である鍬形地区では激しい反対運動が展開されたという〔三木理史「明治末期における地方公益事業の地域的展開-才賀電機商会を事例として-」『人文地理』第43巻第4号、1991年、30頁〕)、水利組合・林業組合との折衝に苦労があったという〔。才賀藤吉率いる才賀電機商会が発電機その他機械の据付、水路・隧道の開削、送配電線の架設、需要家取付工事、本社・発電所建物の建築などをすべて請け負って1904年(明治37年)6月に着工〔。1906年(明治39年)に工事を終えて10月1日より事業を開始し、11月4日に町内にて開業式を挙げた〔。翌1907年(明治40年)1月、才賀も取締役に加わって新たに社長に選出された〔。
開業時点で供給する電灯の数は約700灯であったが、開業以来電灯設置の勧誘、供給区域の拡張に努めた結果、1906年12月末には2倍以上の1,700灯余りとなり、1907年7月時点ではさらに倍増して約3,300灯へと拡大した〔。電灯供給のほかにも動力用電力の供給も開始しており〔、それまで石油発動機を使用していた松阪木綿工場が機械の更新とともに動力をすべて電動力に転換するという事例も見られた〔『飯南郡史』、238-240頁、〕。
1910年(明治43年)10月、資本金を50万円に増資するとともに、遠江電気株式会社(静岡県)および氷見電気株式会社(富山県)の2社の買収を決定〔。翌1911年(明治44年)3月に手続きを完了し、静岡県小笠郡掛川町(現・掛川市)に遠江支社を、富山県氷見郡氷見町(現・氷見市)に氷見支社をそれぞれ設置した〔。これらの支社における事業の推移は、下記「支社の設置と譲渡」にて詳述する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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