|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 松風 : [まつかぜ] (n) (sound of) the wind through pine trees ・ 風 : [ふう, かぜ] 1. (adj-na,n,n-suf) method 2. manner 3. way ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 村雨 : [むらさめ] (n) passing shower ・ 雨 : [あめ] 【名詞】 1. rain ・ 堂 : [どう] 1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent"
松風村雨堂(まつかぜむらさめどう)は、兵庫県神戸市須磨区離宮前町1丁目にある平安時代の多井畑の村長の娘「もしほ」(松風)と「こふじ」(村雨)が在原行平を慕い建てた庵の跡〔須磨観光協会 松風村雨堂 〕。 == 概要 == 平安時代に歌人で公卿の在原行平が、光孝天皇の怒りにふれて、仁和3年(887年)(文徳天皇の御代の説もある)に京から須磨へ左遷され蟄居した際〔神戸市須磨区公式サイト 〕〔『古今和歌集』〕、多井畑の村長の娘「もしほ」と「こふじ」の姉妹に出会い、2人をそれぞれ「松風」「村雨」と名付けて愛人とした。帰京の際、行平は狩衣と烏帽子を松に掛けて姉妹への形見とし旅立った。行平が都に帰った後も姉妹は、行平を慕い続け、行平の居宅のそばに庵を結び、観世音菩薩を祀り行平の無事を祈った。 その庵の跡が現在残るお堂と伝えられる〔須磨観光協会 松風村雨堂 〕〔源氏物語ゆかりの地をめぐる 松風村雨堂 〕。都に帰る行平と2人の姉妹の伝説は、悲しい別れの話として謡曲などにも取り入れられ、後世知られるようになる。 現在、敷地内には観音堂、供養塔、別れに臨み行平が植えた磯馴松、衣掛松、在原行平の和歌が刻まれる石碑などがある。 なお、「松風村雨の墓」が多井畑にあり、多井畑厄除八幡宮の西200mの広場の一隅に五輪塔二基がひっそり建っている〔須磨観光協会 松風村雨の墓 〕。 == 行平の和歌 == 松風村雨堂入口に建てられた石碑には、行平の以下の歌が彫られている。 :''立ちわかれ'' ::''いなばの山の'' :::''峯におふる'' ::''まつとし聞かば'' :::''今かへりこむ'' 意味 あなたと別れて、私は因幡の国へ赴くが、因幡の稲羽山の峰に生える松のように、あなたが私の帰りを待っていると聞いたら、すぐにでも帰って来ましょう。 ※「いなばの山」を現在の須磨離宮公園付近にある「稲葉山(月見山)」とする解釈し、行平が帰京の際、松風と村雨へ詠んだ別れの歌と考える説もあり、 「私はあなたたちと別れ、都へ行くが、“いなばの山”に生える松のように、あなたたちが私の帰りを待つというのを聞けば、私はすぐにでも須磨に帰って来よう」 との意味となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松風村雨堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|