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板倉 重宗(いたくら しげむね)は、江戸時代前期の譜代大名で下総関宿藩の初代藩主。京都所司代。板倉家宗家2代。 == 生涯 == 板倉勝重の長男として駿府で生まれる。永井尚政や井上正就と共に秀忠に近侍した(同時期の小姓組番頭は他に水野忠元、大久保教隆、成瀬正武、日下部正冬)。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは秀忠に従った。慶長10年(1605年)の家康・秀忠の上洛に従い、秀忠の将軍就任に伴って重宗も従五位下・周防守に叙任された。大坂の陣では冬・夏の両陣に出陣し、小姓組番頭の職にあって家康・秀忠の間で連絡役を務めた。戦後、書院番頭に任命されて6000石を与えられた。 元和6年(1620年)に父の推挙により京都所司代となり、2万7000石を与えられた。元和9年(1623年)11月19日に従四位下に昇位し、12月23日に侍従に任官される。寛永元年(1624年)4月に父が死去すると、その遺領を弟の重昌と共に分割して相続し、重宗は1万860石を継いで合計3万8000石となった。さらに4月21日には1万2000石を加増されて合計5万石となる。 寛永3年(1626年)、第3代将軍・家光の参内に従う。家光の嫡男・家綱が生まれるとその元服・官位について朝廷と交渉した。正保2年(1645年)にはその功績により従四位上・右少将に昇位・任官された。 承応3年(1654年)12月6日、30年以上にわたって在職した所司代職を遂に退任した。しかし重宗の影響力は絶大で、翌年11月まで次代の牧野親成を補佐した。その後は家綱の補佐、徳川家の宿老として江戸で幕政に参与し、保科正之や井伊直孝ら大老と同格の発言力を持っていたという。 明暦2年(1656年)8月5日、下総関宿5万石を与えられて藩主となった。しかし高齢もあって11月に病に倒れ、幕府から医師の派遣を受けるも12月1日に関宿で死去した。享年71。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板倉重宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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