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板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属参議院議員。日本遺族会顧問。日本会議代表委員。板垣征四郎の次男。 == 経歴== 永田町小学校(現麹町小学校)〔『立命館百年史』紀要・第6号 p151〕、成城中学を経て、1945年に陸軍航空士官学校(第58期)卒業。シベリア抑留を体験。1950年の帰国後に日本共産党に入党するも54年に脱党、転向〔共同通信社社会部編「沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか」〕。なお、入党は父・征四郎が処刑された事による「民主運動」参加のため。 1955年3月、中央大学法学部卒業。 1957年に日本遺族会へ加入して、企画部長を経て、1972年から80年まで事務局長をつとめた。 1980年、自由民主党から参議院議員選挙に出馬し当選。3期務めた。この間、参議院内閣委員長、同対外経済協力に関する小委員長、沖縄開発政務次官などを歴任した。自由民主党の保守派議連である「明るい日本」国会議員連盟事務局長。また、議員当選に伴い日本遺族会事務局長から引いたが顧問として留まり手腕を発揮し、首相の靖國神社公式参拝を強く要請した。 政界引退後は保守派論客として活動しており、米下院121号決議に対しても反対の意を表している。2007年7月13日にアメリカ大使館に手渡された抗議書にも賛同者として名を連ねている〔 日本文化チャンネル桜〕。映画『南京の真実』の賛同者。田中正明の親友として知られており、田中の死去(2006年)に際して葬儀委員長を務めたほか、田中の後任として「興亜観音を守る会」の第二代会長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板垣正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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