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板東浩二 : ミニ英和和英辞書
板東浩二[ばんどう こうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ばん, いた]
 【名詞】 1. board 2. plank 
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [に]
  1. (num) two 

板東浩二 : ウィキペディア日本語版
板東浩二[ばんどう こうじ]

板東 浩二(ばんどう こうじ、1953年11月23日 - )は、日本実業家NTTぷららの実質的創業者。アイキャスト社長兼任。
== 人物・来歴 ==
徳島県生まれ。城南高校から、徳島大学工学部電子工学科へ進学。2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二と同級生で、長く親交を続けている〔書籍『ハートで感じたら走り出せ!---テレビもスマホと同様に進化する』より。なお、同書の帯には、中村の『あの板東社長率いる会社がここまで成功したのは、同級生だった私からすると正直驚きだ(笑)』という言葉が記されている。〕。同大学を1977年に卒業し、同年4月、日本電信電話公社(現NTT)入社。91年2月、九州支社ISDN推進室長。93年3月、長距離事業本部通信網システム部担当部長。96年3月、マルチメディアビジネス開発部担当部長。98年7月、NTTぷらら(当時の社名は「ジーアールホームネット」)代表取締役社長に就任。
就職活動につき「77年、オイルショックの不況下で就職活動をしました。私も厳しい状況だったのですが、たまたま電電公社が四国で1人だけ追加採用するというので、ダメもとで受けたら通ったんです」と答えている。同時に就職活動を振り返り、若者に対し「境遇は選択の余地がないから全力でやるしかない。でも総じて、若い時期に苦しい経験をした人の方が伸びるよと伝えたい」と話している〔週刊現代『社長の風景』 より〕。
NTTぷらら設立から3年後に社長就任。当初、NTT本社から通信販売などの事業を期待されていた同社だったが、事業が拡大できず、板東の社長就任当時、累積損失は約37億円、キャッシュは約3億円、毎月約1億円以上の赤字を計上しており、NTTの与信力はあったものの、実質債務超過状態にあった。就任前後にNTTグループの再編を迎え、板東は社長就任2カ月後に「事業を精算せよ」と言われるが、「資金が続く約半年間は続けさせてほしい」と頼み込み、以降、広告の出稿の一時停止、不急の事業の廃止など徹底したリストラを実施。唯一、伸びていたインターネットサービスプロバイダーISP)事業に特化し、のちに社名にもなる「ぷらら」のサービスを拡大し、資金ショート寸前に黒字化を達成した〔『ハートで感じたら走り出せ!---テレビもスマホと同様に進化する』 より〕。
板東は「この時期にインターネットのマーケットが急拡大していたため、この事業に特化した。それから弊社は、通信販売の企業でなく、プロバイダーの会社になったんです(笑)」と振り返り同時に「成功も、奇跡も、それを信じた者のところにだけ訪れるのでしょう」と語っている〔。
こうして事業を軌道にのせたが、板東はプロバイダー事業が絶好調だった2000年代初頭には、既に「この伸びは近い将来、頭打ちになる」と考え(事実2006年には業界全体の成長が止まった)、事業環境がよいうちにIP電話など様々な事業を試し、結果が出せる事業を探していた。それが「光回線経由の映像配信サービス」だった。そして2004年に、インターネットを経由し多チャンネル放送ビデオオンデマンドの両方が視聴できる映像配信サービス「4th MEDIA」の提供を開始した。将来的に、ビデオオンデマンドが普及していくだろう、だが現時点では、地上波放送を見慣れた顧客が多いから、衛星放送のような多チャンネル放送と、ビデオオンデマンドの両方が必要だ、という先読みがあった。
これに前後し、NTTグループ内には『OCNシアター』『オンデマンドTV』などのサービスが立ち上がったが、2008年NTTグループ幹部の間に「新規事業は板東に任せる」といったコンセンサスがとれ、これらサービスは『ひかりTV』として統合された〔ダイヤモンドオンライン『ヒット商品開発の舞台裏』連載中の『債務超過から映像配信の雄へ NTTぷららを変えた“脱常識”』 より〕。
板東は、インターネットを経由した映像配信サービスを始めたことを受け「事業環境は、ある程度、先を読むことはができるんです。どのような分野でも先端を行っている人は必ずいます。そして、将来起こることは、今、一部の先端を行っている人の間では、すでに起こっていることが多いんです」と話している〔。
その後、『ひかりTV』は順調に成長を続け、2010年度には100万会員、2012年度には200万会員、2015年度には300万会員を突破。だが板東は次世代のサービスを拡充するとし、2014年10月、日本で初めて4Kのビデオオンデマンドの商用サービスを開始している。当時は4Kのコンテンツが少なく、「下町ボブスレー大田区の挑戦」「宮里美香Shot in 4K」を自主製作、テレビ東京とともに、岩井俊二氏プロデュースの「なぞの転校生」、TBSとともに「美術館のある風景」などを製作。数々の新サービスを普及させた経験を活かし、4K放送の先駆者として普及につとめている。また、ゲームや音楽を楽しめるスマートTVサービスも、「まだ市場がないからこそ始める意義がある」と積極的な普及につとめる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「板東浩二」の詳細全文を読む




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