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板谷 順助(いたや じゅんすけ、1877年(明治10年)3月12日〔衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、36頁。〕 - 1949年(昭和24年)12月21日)は、貴族院勅選議員、衆議院議員、参議院議員。研究会所属。旧姓・山田〔『47都道府県別 日本の地方財閥』56頁。〕。 == 経歴 == 新潟県出身。山田六右衛門の息子として生まれ〔、初代・板谷宮吉の養子となる〔『人事興信録. 6版』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。慶應義塾大学卒業後、明治45年(1912年)板谷商船〔『日本全国諸会社役員録. 第36回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕副社長、小樽商業会議所顧問、北海道農友会会頭、札幌電気軌道、渡島海岸鉄道、沙流鉄道、洞爺湖電気鉄道、帝国自動車工業各社長。樺太銀行、平和生命、十き百貨店、日本電気冶金、羽田精機各取締役。 昭和2年(1927年)に栗林五朔急死に伴う北海道選挙区の補欠選挙において政友会は室蘭から適当な候補者を絞れず小樽の板谷が推薦されることになり民政党の候補者と争い衆議院議員に当選した〔「議員当選通牒受領」『官報』1927年7月23日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。以降4区で第16-18回〔『衆議院要覧. 昭和7年5月 乙』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔『衆議院要覧. 昭和7年5月 乙』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕と連続当選していたが室蘭出身の南条徳男にやぶれ4区からは撤退した。当選6回を数えた。齋藤内閣で鉄道参与官、昭和21年(1946年)に貴族院議員に勅選。昭和22年(1947年)に参議院議員に当選、参議院運輸及び交通、運輸各委員長となる。日本自由党、民主自由党で参議院議員会長。1949年(昭和24年)12月21日〔「議員死去及び弔詞」『官報』1949年12月26日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕に病死。村上義一により追悼演説が行われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板谷順助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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