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杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社である〔杉山神社について (あかね台.net)〕〔杉山神社 大棚社 港北ニュータウン (歴史と素適なおつきあい)〕。旧武蔵国における式内社の一社とされるが、その論社とされる神社は現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都町田市、稲城市などに数十社存在する〔杉山神社リスト (あかね台.net)〕。 本項では上記以外の杉山神社についても一部触れる。 == 概要 == 杉山神社は周辺地域に住む民衆の信仰の中心として鶴見川水系沿いを中心に拡大したとされるが、謎の多い神社である。鶴見川の他に帷子川および大岡川水系、多摩川の右岸(川崎市・稲城市)に存在するが、多摩川を超えた領域には存在しない。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』では杉山神社が全部で72社あると記されているが、その後の合祀や社名変更などにより現状で宗教法人登録されている「杉山」(椙山も含む)が付く神社の合計は44社となっている〔〔〔杉山神社考 (神明社:保土ヶ谷郷土史)〕。 平安時代の貞観11年(869年)に編纂された『続日本後紀』では「枌山神社」と記述される古社で、同書では当社が承和5年 (838年)2月に官弊を賜り、また承和15年(848年)5月には従五位下を授かった旨が記されている〔。さらに延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』では「武蔵国都筑郡唯一の式内社」との記載もされている。しかしその本社は比定されておらず、未だ多くの論社が存在する。なお、論社のうち現在では横浜市(緑区西八朔町、都筑区中川および茅ケ崎中央、港北区新吉田町)にある4社が最有力とされている〔杉山神社巡り (神のやしろを想う)〕。 名称の由来については、杉山に祀られていたという説や樹木の神である五十猛命と杉林に因むという説、船舶材として使用されていた杉の木に因むという説など諸説ある〔武蔵国都筑郡唯一の式内社杉山神社を推理 (津軽古代王国)〕。また当社の由緒についても不明な点が多いが、出雲民族の末裔(五十猛命)が紀州熊野より海人族を引き連れて伊豆半島や三浦半島に辿り着き、後者を経由して鶴見川水系に住み着いた一族の頭領が杉山神社を創建したという説がある〔。なお、三浦半島の三浦郡葉山町上山口には旧相模国で唯一の杉山神社があり、さらに同神社の「元宮」と呼ばれる社も周辺の山中に鎮座しているが〔〔杉山神社 (三浦郡葉山町) (あかね台.net)〕、旧武蔵国における杉山神社との関係は不明である。この他、茅ケ崎中央の杉山神社に伝わる由緒では「天武天皇白鳳3年、安房神社神主の忌部勝麻呂(紀州系忌部氏)によって武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命)の3柱が祀られ、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった」とされている。当時の都筑郡は開拓者である忌部氏の勢力が強く、多くの古墳や環濠集落が作られるなど武蔵国府の支配外にある一つの小国を形成しており、古東海道も横断する物資の集散地であった。ただし、杉山神社の始まりが忌部勝麻呂によるものとされることについては『新編武蔵風土記稿』で記載されているものの、他に文献資料などが残っておらず根拠としては乏しいとされる〔〔。 一方、上述の杉山神社のルーツとは別に、源頼朝縁の旧相模国土肥郷杉山における市杵島姫命(弁財天) を祀る「七杉山神社」(鎌倉の鬼門鎮護を目的に7つの祠を建立)とされる社があり、式内社論社の杉山神社とも一部重複している〔横浜市内に点在する杉山神社を全社制覇! vol.2 (はまれぽ.com 2013年1月19日)〕。 なお、東京都墨田区千歳の江島杉山神社も本来は弁天社(江ノ島神社を勧請したもの)であり、「杉山」は杉山和一を祀っているため付いた名である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉山神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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