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林 建章(りん けんしょう)は清末民初の海軍軍人。北京政府では、海軍総長もつとめた。字は増栄。別名は述端。 == 事績 == === 辛亥革命と対ソ干渉 === 1891年(光緒17年)に南京へ向かい、江南水師学堂第1期駕駛班(操舵班)で学ぶ。5年後に卒業し、実習を重ねた上で海軍軍人として正式に経歴を開始する。宣統年間までには「宿」号魚雷艇管理帯、海軍副参領の地位に昇進した。 辛亥革命が勃発すると、革命派鎮圧のために林建章も武漢に向かう。しかし、清朝陸軍が漢陽で軍民問わず残虐な鎮圧を行っているのを目の当たりにした林は激怒し、上海で革命派に呼応、決起した。林は、「南深」という艦艇に乗船し、清朝の軍勢を相手に勇戦した。 中華民国成立後の1913年(民国2年)1月、海軍中校銜を授与される。8月には上校に昇進した。1917年(民国6年)8月、巡洋艦「海容」艦長に任命されている。 対独宣戦を行い協商国に加盟した後の北京政府は、十月革命によりソビエト政権が誕生したロシアに対して海軍を派遣することを決定する。1918年(民国7年)8月、林建章は「海容」を率いてウラジオストクに向かい、中国駐沿海州海軍代将処を設立し、他の協商国軍に合流した。ドイツ敗戦後の翌年に、大過なく軍事行動を終了して帰国している。1921年(民国10年)1月、第1艦隊代理司令に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林建章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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