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林 弥三吉(はやし やさきち、1876年(明治9年)4月8日 - 1948年(昭和23年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 石川県出身。林三二の長男として生れる。陸軍幼年学校を経て、1896年(明治29年)11月、陸軍士官学校(8期)を卒業。1897年(明治30年)6月、歩兵少尉に任官し歩兵第19連隊付となる。1903年(明治36年)11月、陸軍大学校(17期)を卒業。 1904年(明治37年)6月、歩兵第18旅団となり日露戦争に出征し、さらに第3軍と鴨緑江軍の兵站参謀を歴任。1906年(明治39年)1月、陸軍省出仕(軍務局)となり、軍務局課員を経て、1909年(明治42年)1月、歩兵少佐に昇進。同年12月、ドイツ駐在となり、ドイツ大使館付武官補佐官、陸大教官を歴任し、1914年(大正3年)11月、歩兵中佐に進級。1915年(大正4年)2月、参謀本部員に就任し、同時に1918年(大正7年)4月まで山県有朋元帥副官を兼務した。 1917年(大正6年)8月、歩兵大佐に昇進し参謀本部課長に就任。1918年8月、浦塩派遣軍参謀としてシベリア出兵に出征。1919年(大正8年)7月、歩兵第37連隊長に着任し、第14師団参謀長、軍務局軍事課長を歴任。1922年(大正11年)8月、陸軍少将に進級し支那公使館付武官となった。 1925年(大正14年)5月、歩兵第3旅団長に就任し、1927年(昭和2年)3月、陸軍中将に進み教育総監部付となる。同年7月、陸軍歩兵学校長に就任。その後、第4師団長、東京警備司令官を歴任し、1932年(昭和7年)2月に待命、翌月、予備役に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林弥三吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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