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林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 2012年1月2日)は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー、ゴルフ指導者・解説者。 == 略歴 == 10歳の時に自宅近くの我孫子ゴルフ倶楽部でキャディのアルバイトを始めた事をきっかけにクラブを握る。 1938年に16歳でプロ入りするが、時代は次第に軍事色を強め、特に太平洋戦争中は「敵性競技」であるゴルフは、クラブを持つだけでも白眼視されるなど苦労を極める。その後徴兵され世田谷の近衛師団に入隊、一時プロ活動を中断。戦後プロ活動を再開し、1948年の関東プロで初優勝。その後も日本オープン、日本プロ、関東オープンなどを次々に制覇した。1952年にはシカゴ・タモシャンタで行われた、全米ゴルフトーナメントと世界プロゴルフ選手権に日本人として戦後初めて招待されるなど、中村寅吉、小野光一らと共に復興期の日本ゴルフ界を支えた。 プロとして活躍する一方で後進の育成にも取り組み、その門下からは青木功やジャンボ尾崎、飯合肇、鷹巣南雄、海老原清治、福嶋晃子など一流のプロゴルファーを輩出し、『我孫子一門』と言われる。またゲーリー・プレーヤーがアプローチの教えを請うなど、外国人選手からも尊敬を受けた。 1970年代頃からシニアツアーに転じ、アマチュアレッスンやテレビでのゴルフ解説なども行った。 1994年に文部大臣スポーツ功労者顕彰、2002年に千葉県我孫子市より我孫子市民文化スポーツ栄誉賞、2003年に日本ゴルフツアー機構よりゴルフトーナメント功労賞を受賞した。、2012年に第1回日本プロゴルフ殿堂顕彰者。 ゴルフレッスン会社・ラクエンゴルフの主宰でもあった。 2012年1月2日に老衰のため89歳で死去。葬儀では青木功が弔辞を読んだ。戒名は「球山由徹信士」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林由郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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