翻訳と辞書
Words near each other
・ 林秀貞
・ 林稔幸
・ 林穎彤
・ 林立
・ 林立夫
・ 林立果
・ 林立祥
・ 林竜多郎
・ 林竜潭
・ 林竧
林竹二
・ 林竹次郎
・ 林竹治郎
・ 林節
・ 林紀
・ 林紀子
・ 林紀恵
・ 林紀昭
・ 林純平
・ 林純次


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

林竹二 : ミニ英和和英辞書
林竹二[はやし たけじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [に]
  1. (num) two 

林竹二 : ウィキペディア日本語版
林竹二[はやし たけじ]
林 竹二(はやし たけじ、1906年12月21日 - 1985年4月1日)は日本の教育哲学者。栃木県矢板市の生まれ。東北学院に学び、のち1934年旧制の東北帝国大学法文学部哲学科を卒業。専攻はギリシア哲学。プラトンについての論文がある。
東北学院では山川丙三郎に師事した。東北帝国大学では阿部次郎に親炙し全集の編集に携わった。またA.E.テイラーの『ソクラテス』の注釈つき翻訳を出版したために、バーネット・テイラー説の信奉者として知られた。
第二次世界大戦の敗戦後、東北大学教育学部で教育史を担当。森有礼について研究した。またソクラテスの問答法を下敷きにした人間形成論を構想した。東北大学から、教育学部と教職課程を分離し、宮城教育大学として独立させる計画が浮上したとき、林は最後までこれに反対した。反対派が押し切られて同教育大学が設立されたのちの1969年、林は同大学の第二代学長に就任した。終始学生の側に立つ姿勢を貫き、同大学が大学紛争の渦中に陥り、学生たちが大学構内を封鎖したときには、構内に入り込んで学生と対話の労を惜しまなかった。林は学長室自体を封鎖されたバリケード内に移したいとさえ主張した(実際には主張どおりに行かなかったが)。その他、多くの逸話が残る。
晩年は、足尾鉱山事件田中正造に関心を寄せ、評伝を書いた。また、斎藤喜博の影響を受け、全国各地の小学校を回って、自ら対話的な授業実践を試みるなど、教育の現実にかかわる姿勢が関係者の共感を呼んだ。「授業・人間について」は、本として刊行された他、グループ現代により映像化もされ、また写真集も出ている。小学生を対象に行った授業で野生児アマラとカマラの絵を教材として提示し、人間とは何かという問いを児童に投げかけている。
国文学者の林瑞栄は妻。考古学者の林謙作(北海道大学教授)は長男。
== 著作 ==

* 『授業・人間について』国土社 1973年
*『田中正造 その生と戦いの「根本義」』二月社 1974 のち田畑書店  
*『授業の中の子どもたち』構成:松本陽一 カメラ:小野成視 日本放送出版協会 1976
*『田中正造の生涯』講談社現代新書 1976年
*『教育の再生を求めて 湊川でおこったこと』筑摩書房 1977年
*『授業の成立』一茎書房 1977
*『教えるということ』国土社・新書 1978年
*『教師たちとの出会い』国土社 1978
*『学ぶということ』国土社・新書 1978年
*『学ぶこと変わること 写真集・教育の再生をもとめて』小野成視写真 筑摩書房 1978
*『学校に教育をとりもどすために 尼工でおこったこと』筑摩書房 1980
*『問いつづけて 教育とは何だろうか』小野成視写真 径書房 1981
*『教育亡国』筑摩書房 1983年 のち学芸文庫 
*『林竹二著作集』全10巻 筑摩書房 1983-87 
*『若く美しくなったソクラテス』田畑書店 1983
*『教育の根底にあるもの』径書房 1984
*『授業による救い 南葛飾高校で起こったこと』径書房 1993年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林竹二」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.