翻訳と辞書
Words near each other
・ 林英夫
・ 林英夫 (政治家)
・ 林茂
・ 林茂助
・ 林茂司
・ 林茂平
・ 林茂政
・ 林華生
・ 林華鈴
・ 林萃橋駅
林葆懌
・ 林葉直子
・ 林董
・ 林蓉子
・ 林薬品
・ 林薬品 (鹿児島)
・ 林薮経
・ 林藍菜
・ 林藩
・ 林藪経


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

林葆懌 : ミニ英和和英辞書
林葆懌[りん ほえき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 

林葆懌 : ウィキペディア日本語版
林葆懌[りん ほえき]

林 葆懌(りん ほえき/りん ほうえき、)は、中華民国の海軍軍人・政治家。護国戦争で反袁世凱の挙兵を行い、護法運動にも参加して護法軍政府7総裁の1人となった。悦卿
== 事績 ==
福建船政学堂を卒業し、後に海軍軍人としての教習のためイギリスへ赴いている。帰国後、北洋艦隊で管帯(船長)に就任し、1910年宣統2年)、駐英造艦監督として艦船「肇和」の建造事務を担当した。中華民国成立後の1912年民国元年)9月、北京政府海軍部参事に任ぜられる。同年12月、海軍少将銜を授与された。翌1913年(民国2年)7月、練習艦隊司令となり、その翌月には第1艦隊司令署理に任ぜられた〔徐主編(2007)、825-826頁。〕。
1915年(民国4年)12月に袁世凱が皇帝に即位、護国戦争が勃発すると、林葆懌は翌1916年(民国5年)に反袁蜂起を宣言、護法の電報を発した。同じく挙兵した李鼎新と共に第1艦隊を率いて広州入りしている。袁死後に勃発した護法運動にも林は護法軍政府側として参加し、1917年(民国6年)9月に護法軍政府海軍総司令となった。なお林は、護法軍政府内では岑春煊陸栄廷らの旧広西派(旧桂系)を支持し、孫文(孫中山)と対立している〔徐主編(2007)、826頁。〕。
1918年(民国7年)5月、護法軍政府が孫文の単独指導から7総裁(主席総裁:岑春煊)による集団指導制へ改められる。この際に林葆懌は総裁の1人となり、更に海軍部部長兼海軍司令となった。同年11月には福建省督軍も兼ね、翌1919年(民国8年)1月には海軍上将銜を授与されている。しかし1920年(民国9年)10月、陳炯明率いる広東軍(粤軍)に旧広西派が敗北したため(粤桂戦争)、林も罷免された。1922年(民国11年)7月、北京政府から葆威将軍の位を授与されている。1930年(民国19年)、上海にて病没。享年68〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林葆懌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.