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林道倫 : ミニ英和和英辞書
林道倫[はやし みちとも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
林道 : [りんどう]
 【名詞】 1. path through forest 2. woodland path 
: [りん]
 (n) companion

林道倫 : ウィキペディア日本語版
林道倫[はやし みちとも]
林 道倫(はやし みちとも、1885年12月21日 - 1973年3月28日)は、日本精神医学者、教育者。新制岡山大学の初代学長を務めた。
== 来歴 ==
宮城県出身。東京帝国大学医学部卒業。帝大在学中は日本の精神病研究の先駆者である呉秀三の薫陶を受け、歌人斎藤茂吉同級生であった〔日本の名医Ⅱ 第4回 日本脳炎研究 岡山大初代学長 林 道倫(みちとも) 病原体発見へ道開く 山陽新聞 岡山医療ガイド〕。同大卒業後、ドイツに3年間留学〔。
帰国から間も無い1924年7月岡山医科大学(現岡山大学医学部)精神科教授に就き、生涯にわたり岡山を活動拠点とする〔沿革 日本精神医学のフロンティアとして大きな足跡を残しました 公益財団法人 林精神医学研究所〕。しかし、就任早々林を待ち受けていたのが、日本脳炎の流行であった〔。同年は全国各地で日本脳炎が記録的猛威を振るっており、病理解剖解剖検査組織検査を通じてその解明に勤しむ事となる〔。
1933年には日本脳炎で死亡した患者脳髄の抽出液をサルの脳に移植、サルに脳炎を発症させる手術に世界で初めて成功〔。これにより林の名は広く知られることとなり、脳炎ウイルス研究の道を開く〔。この間、1931年に2度目のドイツ留学を果たし、46歳にして国際結婚〔。2人のをもうけた。
広島県立医学専門学校(1945年2月設立。広島医科大学を経て現在の広島大学医学部の前身)校長を経て、1948年文部省(現文部科学省)の研究班長に就任、戦後の精神医学界の領袖となる〔。岡山医科大学では同大付属病院(現岡山大学病院院長を務め、1949年学制改革で誕生した新制岡山大学の初代学長に就任〔。1952年に大学長を退官し、同年8月岡山市内に財団法人林精神医学研究所並びに林道倫精神科神経科病院を立ち上げ、初代院長に就く〔。
以後20年にわたり、現役の精神科医として活躍していたが、1973年3月28日死去。享年88〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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