|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 林 : [はやし] 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket ・ 邦 : [ほう, くに] (n) country ・ 四 : [よん] 1. (num) four
林 邦史朗 (はやし くにしろう、1939年1月1日 - 2015年10月29日)は、日本の殺陣師、俳優。東京都墨田区両国出身。本名は小林 邦司(こばやし くにじ)〔林邦史朗氏が死去 殺陣師 日本経済新聞 2015年10月31日〕。大河ドラマにおいて殺陣指導を行っていたことで知られた。 一部の作品では、「林邦史郎」、「林邦四朗」と表記されることもあった。 == 来歴・人物 == 東京都立向島工業高等学校卒業後に劇団ひまわりに入団。そのとき講師に来ていた殺陣師の大内龍生の影響を受け、劇団ひまわりを退団して大内の門下生となる。数年間門下生として殺陣の技能をマスターしていったが、そんな折、とあるディレクターに「斬られ役ばかりやっていると(そういう根性が染み付いて)役者として、見てもらえなくなる」というアドバイスを受け、大内剣友会を去り、フリーとなった。 フリーで仕事をしていくうちにNHKのプロデューサー・広江均から「今までの、歌舞伎のような舞踊めいた立ち廻りではなく、リアルな殺陣を林に付けてほしい」との依頼があり、その要望に応えるために1963年、日本初のスタントマングループ「若駒冒険グループ」(現・若駒)を創設。 1965年、大河ドラマ『太閤記』から単独での殺陣師を50年間務め、林の名前が初めてクレジットされた。以降、NHKだけではなく、民放や映画に舞台でも殺陣を振り付けていき、弟子を大河ドラマなどでも殺陣師へと抜擢した。殺陣を教えた役者は100人以上に登り、80人以上の弟子がいるという〔読売KODOMO新聞 2009年3月20日号。〕。その弟子には新実、小幡利城、車邦秀、竹田寿郎、真木仁、千葉清次郎、天乃大介、猫俣博志、松本真治、中川邦史朗、羽柴誠、佐藤政之、鈴木有史などがいる。また、幾つかの作品では殺陣指導だけでなく、ゲスト出演している(下記参照)。特に『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』と、幕末を題材にした司馬遼太郎原作の大河ドラマでは3度にわたり坂本竜馬を暗殺する刺客を演じた(『竜馬がゆく』では、竜馬役の北大路欣也からリクエストされて抜擢された)。また、『風と雲と虹と』『峠の群像』のように殺陣指導をせず、出演のみ関わった作品も存在する。 1975年には、日本伝来の武道と殺陣を融合した「武劇」を創始した。沖縄海洋博を皮切りに、国外でも発表(アメリカやオランダなど)公演を展開していた。 また、『8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)の立ち廻り関係は全て手掛け、『俺たちは天使だ!』(日本テレビ放送網)、『蒼き狼 成吉思汗の生涯』(テレビ朝日)などの民放ドラマの立ち廻りも手掛けたが、基本的にはNHKの仕事がメインとなっていた。 2015年10月29日に膵臓癌のために死去〔殺陣師の林邦史朗氏が死去 産経新聞 2015年10月31日閲覧〕。。林は死去する前に2016年NHK大河ドラマ『真田丸』の収録に参加、自身が尊敬していた武将:武田信玄の亡霊役で出演しており、これが遺作となった〔『追悼抄』(読売新聞夕刊)2015年12月5日付13面〕。その没後、愛弟子の中川泰幸が「邦史朗」の名を襲名、「中川邦史朗」と名を改めて、林が生前に担当していた大河ドラマの殺陣・武術指導を担当している〔「邦史朗」の襲名・中川邦史朗 若駒プロ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林邦史朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|