翻訳と辞書
Words near each other
・ 林間 (大和市)
・ 林間モール
・ 林間学校
・ 林間学校 (列車)
・ 林間学習
・ 林間学舎
・ 林間田園都市
・ 林間田園都市駅
・ 林間都市
・ 林間都市計画
林閬苑
・ 林陵平
・ 林陽一
・ 林陽子
・ 林隆一郎
・ 林隆三
・ 林隆太
・ 林隆敏
・ 林雄一
・ 林雄二郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

林閬苑 : ミニ英和和英辞書
林閬苑[はやし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [えん, その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation

林閬苑 ( リダイレクト:林ロウ苑 ) : ウィキペディア日本語版
林ロウ苑[はやし ろうえん]

林 閬苑(はやし ろうえん(りょうえん)〔「りん りょうえん/ろうえん」とも。〕、生卒年不詳〔生年は寛保2年(1742年)から寛延2年(1749年)の間、卒年は安永9年(1780年)(『蒹葭堂日記』)から天明7年(1787年)までと推定される。〕)は、江戸時代中期の絵師
名は新・又新、は日新、は閬苑のほかに章齢・蟠龍洞・筆飛将軍など。通称を秋蔵(秀蔵とも)・閬蔵。大坂の人。
== 略伝 ==
幼少より画を好み、長じて池大雅の高弟・福原五岳に師事する。このときの同門・黒田綾山と画友となる。東東洋木村蒹葭堂維明周奎などと交友。安永2年(1773年)から4年間、維明に請われて京都相国寺にある狩野孝信障屏画修復に携わり、寺院に収蔵される名画を実見し研究。またの豪商の収蔵する中国・の画を臨模して画業を研鑽。大坂道頓堀幸橋付近に居を構え、「筆飛将軍」と自称し、「唐画師」として活躍。「閬苑」と言う聞きなれぬ言葉は「仙人の居所」を意味し、『続仙人』や『宣和画譜』など絵師と関わりある中国書物に出典が求められ、閬苑の中国志向が伺える。しかし、40歳未満で夭折。一説に、閬苑はその一生をほとんど自己の研鑽に費やし、中国の風物に接しようと渡航を願いでるが許されず、遂には憤死したとも言われる〔『書画珍本雑誌』第二巻第四号「閬苑 竹鶴図」付記略伝より。〕。
山水は大胆で自由な筆遣いで中国風に描き、花鳥画・人物図は沈南蘋の影響から緻密で濃密な色彩を特徴とし、美人画を得意とした。岡本豊彦によると、閬苑は和泉国の豪家にある代絵画に学び、着色の美人画は仇英に、墨画の人物画は張平山に似ていると評している。東東洋の言では、安永2年(1772年)頃閬苑は30歳ほどで、青墨の使い方を学んだという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林ロウ苑」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.