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『果たし得ていない約束―私の中の二十五年』(はたしえていないやくそく―わたしのなかのにじゅうごねん)は、三島由紀夫の評論・随筆。初出の旧仮名遣いでは『果たし得てゐない約束…』となる。実質的な三島の遺書、決別状としての意味合いを持ち、三島の死後、様々な誌面や三島論で『檄』とならび、引用されることの多い評論である。三島の吐露する〈空虚〉の考察だけでなく、戦後民主主義と三島文学の相関関係を探るためにも重要な文章である〔中川成美「私の中の二十五年」()〕。 1970年(昭和45年)、『サンケイ新聞』(夕刊)7月7日号に掲載され、翌1971年(昭和46年)5月6日に新潮社より刊行された『蘭陵王――三島由紀夫 1967.1 - 1970.11』に収録された。 三島の死後、自宅書斎の机上から、本文が掲載されたサンケイ新聞夕刊の切抜きと共に、「限りある命ならば永遠に生きたい. 三島由紀夫」と記した書置きが発見されている〔「昭和45年11月26日」()〕。 == 内容 == 三島は戦後25年間(1945年から1970年)の自身の歩みを振り返って、〈その空虚さに今さらびつくりする〉とし、それらの過程に作家活動として積み上げてきた創作物を〈排泄物〉と同じだと断じつつ、自分がはたして本当に〈約束〉を果たして来たのか、〈否定により、批判により〉何事かを約束して来た筈の自分が、〈戦後民主主義とそこから生ずる偽善といふおそるべきバチルス〉を否定しながらも、〈そこから利得を得、のうのうと暮して来たこと〉が〈久しい心の傷〉となっていることを告白している。 また、それまでの自身の作家活動の中で試みてきた、〈肉体と精神を等価のものとすることによつて、その実践によつて、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやらう〉という企ても完全には成就されなかったこと、さらに、〈自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうしても“俗に遊ぶ”という境地になれない〉自身が、わがままにより多くの友を失ったこと、戦後社会にいままで希望を持ってきた空しさを吐露し、日本の行く末について以下のように予言している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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