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柏原 寛司(かしわばら ひろし、1949年(昭和24年)9月6日 - )は、日本の脚本家、映画監督。東京都中央区日本橋出身。一般社団法人シナリオ作家協会会長、日本シナリオ作家協会副理事長。通り名は「かしわばら かんじ」(有職読み)。 == 略歴 == 実家は江戸時代末期から代々、東京・人形町に住む一家で、柏原で四代目に当たる。中学生時代は映画少年で、特に西部劇が好きで、『アラモ』は36回も観たほどだった。また、少年時代は落語も好きだった。高校生以降は友人の勧めで『用心棒』を観て以来、日本映画も好むようになり、高倉健、勝新太郎主演などの作品をよく観るようになる。一方で高校時代は野球部で、野球にも打ち込んでいた〔『NTV火曜9時 アクションドラマの世界 「大都会」から「プロハンター」まで』(2015年、DU BOOKS)p.28 - 34〕 1969年、シナリオ作家協会主催のシナリオ研究所(現在のシナリオ講座の前身)第22期を修了。主に新井一に師事。日本大学芸術学部文学科在学中の1973年、東宝企画にアルバイトとして入り、子供向け特撮コメディー番組『クレクレタコラ』(CX)の脚本と製作助手などを経験。その後CM撮影などで岡本喜八らの現場に就き、1974年には東宝企画のプロデューサー磯野理を通じ『傷だらけの天使』(NTV)で脚本を担当〔。 大学卒業後、日活撮影所の助監督試験を受けようとしたが、費用を忘れ断念〔。その後も東宝で制作などのアルバイトを経験しながら『俺たちの勲章』『俺たちの朝』などの脚本をコンスタントに手掛け、1977年の『大都会 PARTII』にサブライターとして参加したのを皮切りに日本テレビの専属となり、本格的にシナリオライターとしての活動を開始。翌年の『大追跡』では実質的なメインライターを担当した。本人自身がハードボイルドやミステリーなどに造詣が深いこともあり、以降『探偵物語』『大激闘』『プロハンター』『あぶない刑事』などの刑事・探偵アクション作品や青春ものを中心に、メイン・中核ライターとして活動。 1997年には『猫の息子』で映画監督としてもデビューし、以降はVシネマや低予算映画などの演出にも携わる。近年は、ライフワークともなりつつある『ルパン三世』の執筆や、『名探偵コナン』の劇場版の製作にも携わるようになった。 東京・人形町に「柏原ビル」という自宅兼テナントビルを所有し、制作会社「KOM」を経営。現在は、映写・試写施設「Base KOM」のオーナーも務める一方、作協シナリオ講座の講師として後進の育成にも尽力。門下には武藤将吾、米村正二、藤田伸三、横谷昌宏らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柏原寛司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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