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染谷 勲(そめや いさお、1915年3月23日 - 2007年12月31日)は、日本の電気工学者であり、無線通信分野の先駆者。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省電気通信研究所で無線通信の開発実用化研究に従事した。戦後、電電公社が新超多重回線を建設する際マイクロ波多重通信方式の実用化研究の責任者を務る、CCIR(現ITU-R)のカラーテレビジョン伝送に関する規格設定に参加するなど、無線通信技術実用化の牽引役となった。その後日本電気株式会社に移り通信技術の発展に尽力した。 情報理論分野で重要とされている標本化定理を、クロード・シャノンとは独立に証明した。 == 来歴〔(染谷勲,『波形伝送』,修教社,1949),(電子情報通信学会誌89(8),p.p.771-773,小川英光著『標本化定理と染谷 勲』,2006-08-01),(映像情報メディア学会誌:映像情報メディア 62(5),p.p.633-634,石黒辰雄著『染谷勲さんを偲ぶ』,2008-05-01)による〕 == * 1915年3月 埼玉県に生まれる * 1938年3月 東京帝国大学工学部電気工学科卒業 * 1938年4月 逓信省に奉職、電気試験所第二部にて有線伝送研究に従事 * 1941年12月 - 1945年8月 電波兵器研究に従事 * 1945年9月 同所通信部に勤務、無線機器研究に従事 * 1949年8月 電気通信研究所に改組(逓信省廃止に伴う)、方式実用化部無線方式課に勤務 * 1950年6月 「波形伝送回路論」で東京大学より工学博士の学位を受ける〔博士論文書誌データベース〕 * 1959年 電気通信研究所次長に就任 * 1966年2月 日本電気株式会社に入社 * 1972年5月 同社常務取締役に就任 * 1976年1月 日本電気エンジニアリング株式会社代表取締役社長に就任 * 1979年6月 同社会長に就任 * 1985年6月 同社退任 * 2007年12月 急性呼吸不全のため死去〔(47NEWS,記事『染谷勲氏死去 元NEC常務』,アドレス:http://www.47news.jp/CN/200801/CN2008010901000414.html, 2013-4-26アクセス)〕(享年92) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「染谷勲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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